ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/修道士による日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

新年一発目。

だいぶ前にアップした曲貼ってなかったから貼るねっつーか片方爆音なんで要注意で。

 

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あけおめってことなんだけどまぁ浴びるように本を読んでるけどキリスト教って例えばイスラムの場合、イスラム思想って言えたりもするのになんでキリスト思想ってあんま言われないのかな?とか思いつつまぁなんかホント根が深い話ですよね。例えばポピュラーカルチャーとしての宗教っつーとさっきみたクソ映画で神は死んだのか?っつーのがあるんだけどバリバリの旧ソ連か?っていうようなプロパガンダ映画で基本的に俗化された宗教って大体あんなもんなんだよね。

 

インテリが宗教をバカにするのも言わばこういう俗化された宗教のレベルの低さでそれこそちょっとでも理性があればすぐ崩れるような体系だったりするものを信仰として持ち続けるっていうまぁ衆愚カルチャーっていうんですかね、まぁそれで言うと知的レベルは若干上がるけど左翼もそうだよねっていうかイデオロギー全般そうだよね。

 

本当のその思想の核心部分を理解していてなおかつそれが形骸化せずに日々の行いや考え方に出ているのか?っていうともうめっちゃ難しいわけだよね。あとまぁ日々実践してます!なんつって実は全然理解してないっつーレベルのを実践してるっていうかグッバイゴダールっつー映画見たんだけど昔のゴダールの滑稽さだよね。革命的でなければいけない!っていう盲目的というか考えてるようで考えてないっていうオナニーね。そういうのがまぁ歴史的にも端的に表れるのが宗教なんだけど別にそれ言い出すと思想もそうなんだよねっていうか思想が絡むものでなおかつ人に影響を及ぼして行動の原理的なのを与えるものは言わばイデオロギーですよね。

 

そういう意味でまぁイスラム思想ってまだ全然読み始めたばっかだけど過激派とかもまぁようは思想の誤用と悪用でしょ。赤軍とかが空港で銃乱射するようなもんでっつってもまぁそれは単純化し過ぎなんだけどもこの根本の思想と思想が解釈されてムーヴメントみたいになるっていうのの間ってのは埋められないよね。もうそれはオツムの問題なんだよね。そもそも思想の根源的理解なんて超難しいしそれこそ研究者並に文献読まないとダメなわけでもうこの時点である意味大抵の人にとっては無理ってことになるよね。それはバカって意味じゃなくて時間って意味でね。まぁ時間があってもバカじゃこれまたどうしようもないわけだし。


別にそれはキリストだろうが右翼だろうが左翼だろうが全部同じですよ。だからもう無理だねっていう(笑)なんかさ、キリスト教って帰依できると安心できるっつーか例えば俺みたいに完全に孤独っていうかまぁ孤高気取りな部分もあるけど(笑)キリスト教というポピュラーカルチャーによって大衆と馴染めるかも!みたいな望みとかがあったりするんだけどまぁそりゃないんだよね。世俗化された思想とか宗教のレベルの低さっていうとまぁ市民講座みたいなもんなわけでそこでシリアスにキリスト教を学ぶってことになると帰依なんてありえないんだよね。絶対どっかで個人的なものが出てくるしまず地が哲学とか理性の場合、盲信的に信仰なんてのは生まれないわけだしいきなり感化されるってこともないんだよね。

 

だからまぁあくまで思想としてしか興味が無いんだけどそりゃ読み込むことで何らかの原理なり深い洞察が得られればそれはまぁ社会がどうのじゃなくて個人的な救いになりますよね。んでまぁ散々書いた気がするけどニーチェとかはキリスト教逆張りなわけでハイデガーなんかも最近知ったけど最初神学やってたらしいんだよね。んでまぁ存在の被投性なんてのもまぁ言い方を変えた宗教みたいなもんで認識するってことが光だとかなんだとかまぁ基本神学よねやっぱ。

 

神学とか宗教に影響されてない哲学なんてほぼ無いだろうっていうぐらい宗教べったりなのはまぁそれが西洋だからなんだけどまぁ西洋文化ってそうですよね。ただまぁマルクスにしてもフォイエルバッハにしてもニーチェにしても神は死んだにしてもまぁ確かにそうなんだけどそれって所謂世俗化したクソみたいな宗教全般のことなわけでまぁ当時は革命的だったかもしれないけど今考えると当たり前のことしか言ってなくてそこで神を信じるか否か?みたいな、そういうレベルで止まっちゃってるってのがヤバいんだよね。無神論とか逆張りキリスト教ってのもある意味アヘンみたいなもんだよね。

 

無神論としてのソースとして持ってくればそりゃ反論簡単なんだけどそれってあくまで世俗化された宗教においてそうなんであって実際のキリスト思想としてはどうなのよ?ってところが検討されてないって言うかその辺を必死にやってきたのがバルトみたいな世代の近代神学なんだろうけどそれで終わっちゃってる感じはあるよねってまだ読んでないからなんとも言えないんだけどさ、なんかざっくりと思うのはある種無神論とかニーチェ的な反キリスト教とかよりも反キリスト教なのってまぁようはちゃんと理解するっていうことなんだよね。

 

つまりは悟性と理性ですよ。そうなるとでもまぁ理詰めでいったら大体の宗教って破綻するから異端ですよね。でもまぁそこでのなんか宗教の社会化ってのがまた問題で宗教に目覚めたからっつってんじゃあ教会行って洗礼だ!とかってことじゃないんだよね。そこが直になりがちなんだけど世俗化された宗教と本当の思想って違うわけででもまぁなんか宗教ってそういう意味で楽じゃん?理詰めじゃなくてとりあえず言われたことを信じてればいいっていうまぁまさにアヘンだよね。

 

でもまぁ批判的に検討していくっつーのはまぁ信者じゃないんだけどでもある意味で信者以上に理解しようとしてるっていうその知への渇望ってのが言わば信仰なんじゃないか?って思うわけで今まで俺が基本シュトラウスとかの受け売りでエロスだ!とかって言ってたまぁそれと同じなんですよね。ホント、基本変わらないから今も特に洗脳されたわけでもなくいきなり目覚めたっつーより普通のプロセスとして神学を学ぼうって思うようになったと思うんだけどね。

 

護教的って言うのかな?論理が揺らぐと実存が揺らぐから必死にドグマを守ろうとするっていうそれってまぁ完全に実存が宗教依存だからだよね。宗教がクソな理由も本来は知的活動とヒューマニズムが合致するような、まぁある意味での有神論的な実存主義っていうかまぁサルトルが論理の飛躍で一気に実存主義ヒューマニズムとしたのもまぁフランクル的な意味への意志とかっていうまぁ構造は同じだよね。ただ別にソースがサルトルだろうがニーチェだろうがそれが信念なんですってのはもはやもう信仰と同じなんだよね。別に科学じゃなくて意味の領域じゃん?

 

それが論理的にどうか?っていうことではない自分はそう思うしそう思って生きているっていうことなわけでまぁそういう意味で人間って色んな思想とか出来事とかまぁ生い立ちとかも含めて影響を受けて生きてるわけでさ、そういう意味で宗教への偏見ってのもまぁその世俗化されたものとかまぁルーツが左翼っぽいと宗教なんて言い始めたらもうアウトみたいなまぁ左翼的言説の中でナショナリズムとか言い出したらもうアウト!みたいなおまんこって言ったらダメ!みたいなおまんこワードなんだよね。

 

概念的に思考停止的なものの象徴というかさ、まぁただそこであれですよね、割と最近だとまぁソ連の崩壊以降はイデオロギーから自由になった思想としてのマルクスとかってのがありつつも基本的になんか左翼業界っつー一種の宗教を形成しちゃうっていうかさ、そこで個別であるっていうことが社会的に難しいんだよねっていうかまぁ別にそういう党派的なものにコミットしなきゃいいだけの話なんだけどやっぱり業界に入りたいって依存心だと思うんだよね。

 

仲間がいると安心するし一人じゃないからなんかとりあえず神ワードっていうかどこでも通じるようなアイアンフィストでもなんでもいいんだけどそういうのがあると連帯できるみたいな、まぁそれって幻想なんだよねっつってもそれで国家は幻想だとかっていうことにはならないんだけどね、ただ結局なんかの拠り所を求めてるっていう弱さっていうかさ、そこで思想を持つと強くなれるようで実は思想が規定している原理に従っているにしか過ぎなくて実際に考えてるのか?っていうともうそれは例えば左翼なら左翼フレームワークみたいなものに落とし込めて考える
わけよね。

 

まぁ思考のフレームワークってそうだよね。詰めれば色々あるんだけどとりあえず措定してある色んな公理から考えるっていうただその公理の自明性ってそれが左翼だろうが右翼だろうが宗教だろうが無いんだよね。無いからこそもうそれは信念とか信仰ってことになるんだよね。なぜそれを選んでそう考えているのか?っていうとそれが自分のブリーフだからってパンツってことじゃなくて信念ってことなんだけどその辺で言うとナショナリズムとかで例えばチョムスキーとかが例えばなんかのスポーツを応援するっていうんで自分の出身校とか出身地のチームを応援するって別にそれは当たり前とされるんだけど自明性ないよねみたいなことを言ってたんだけど思想全般そうだよね。

 

確かにその思想に至るまでの個人的な物語とか信じるようになった契機ってのは色々あるんだけどあくまでそれは物語でしかなくて正しいか間違いか?とか論理的整合性がどうのとかって話じゃないんだよね。そういう意味でめっちゃファジーなんだよね。まぁ相対主義とか相対主義的考えが行きつく必然的なニヒリズムってそうじゃないですか?まぁ俺なんか典型的にそういうやつですよね。もちろんそこでナイーヴにキリスト教のみがニヒリズムに対抗できるのだ!とかって言うつもりはないんだけど結局まぁ何が言いたいのか?っていうと非合理的なものでしかニヒリズムは打倒できないってことなんだよね。論理的必然性で詰めていけば行き先は焼け野原なわけですよ。

 

そこで理性や悟性を捨てるということではなくて非合理的なものに進んでいくという勇気だよね。それは下手するとカルト的だったりニューエイジ的な胡散臭いものとかまぁそれこそ自分の今までやってきた知的活動を全部壊すようなものになるかもしれないんだけどニヒリズムってのはイズムを選んでるわけじゃないんだよね。博愛主義の場合、愛を信じるとかそうありたいっていう願いなんだけど特に願いも何も無いし毎日つまんねーしっていうそこはそこに神とか宗教が介在しようがなんだろうが基本ニヒリズムに行きつくのは必然なんだよね。知的に誠実であればあるほどニヒリズムに行きつきやすくなる。

 

まぁ言わば21世紀のデフォルトですよね。別にニーチェとかハイデガー読んでなくてもデフォの感覚としてそうなるわけよ。そこで今さら命とは?とか愛とは?とかって考えるとかってバカバカしいんだけどそういうバカバカしく見えるような、知的に取り組んでても例えば思弁実在論だったかまぁなんか流行りの哲学あるじゃん?ああいうのに取り組んでるみたいなかっこよさとかが無いダサさだよね。ずいぶんと泥臭い人間的なものに取り組んでいますねっていうところなんだよね。知的に全くかっこよくないどころかダサいというね、でもそこなんだと思うんだよね。

 

個人的な観点から言うと世俗化されたものじゃなくてまぁ歴史から見るキリスト教とか宗教全般とかあくまでちょっと齧った程度で深くはディグってないから未開の地なんだけど必然的にバルトぐらいの世代の神学者ニヒリズムとかキルケゴールみたいなのとかも踏まえた上での神学の確立みたいなのに腐心していたっていうその最後の牙城を守るっつーのかな、ただまぁ神学者だから護教的になるのはしょうがないよね。まぁ偏見だと基盤壊したくないから矛盾があっても屁理屈で聖書とか引用してきて正当化するっていうまぁ昔のマルキストと同じですよっつーかゴダールとかと被るよね。

 

ただなんかさ、俺が言う生の肯定ってもうそれしかないんじゃね?って思うんだよね。だから生きているということは素晴らしい!なんつー凡庸な結論に至ることはないだろうけど別に人類とか関係なくあくまで俺は等身大で所詮は自分のことなんですよ。自分の救いだよね。でも結果、それは実存に根差したものだから何かしらの価値観というか、そういったニヒリズムに抗えるものがあるとそれは完全とまでは言わないまでもある種の普遍性を含めた解毒剤になったりする場合もあるかもしれないっていうまぁそこは望みだよね。絶望してるだけだと何も生まれないわけでかといっても10年前とかの俺が言ってたような知を磨くことだ!みたいなロマン主義っていうか教養主義的なことでとりあえず問題を先送りにするみたいなそういうのもあんま意味ないっていうか常に実存っつー問題があるしそれはパリに住もうがロンドンに住もうが場所変えたところで何も変わらないっていう自分っつー主観からは逃れられないってのはだいぶ前から書いてる気がするけどそこでまぁ価値観っつーか価値なんだよねとかってのも言ってきたけどそれも結局なんか快楽主義的な帰結っていうかまぁ強度って大事だけどサステイナビリティって意味で凄く脆弱だったりするわけじゃない?

 

そこでの日々の退屈さとかはしょうがないんだけどだからといってニヒリズムに陥らないようにする価値観っていうと理性と悟性に根差した非合理的なものってことに尽きると思うんだよね。もちろん何回も書くけど危ないですよ。ミスるとオカルトとかに行くしオウムなんかもまぁある種の帰結の一つだよね。オウムなんて馬鹿げてるんだけどでもそうは言い切れないのは基本的にニヒリズムの大きさがあるわけなんだよね。そういうニヒリズムの中で急に超常現象的なものを見るとそれ以外の例外なものが存在するんだ!って思うと言うよりかはニヒリズムから逃げたいからそれは超常現象なんだ!って思いたいっていう幻想だよね。ディズニーランドをリアルだと思いたいと思うようなのと同じだわ。宗教も同じですよね。

 

だからまぁ俺が今求めてるのってのはまぁそういうまずは人類をニヒリズムとの闘いだったってマルクスの人類とは階級闘争の歴史であったじゃないけどまぁそれのニヒリズムバージョンっつーのかな。基本そういう実存との闘いだったっていうそんな中でそれに付け込む宗教とかまぁ大半がコラプトしたような宗教だったりしたわけなんだけど未開だったり非科学的な時代とかも含めて人類がどうやってこんなファーストパーソン視点のクソゲーに耐えてきたのか?ってことなんだよね。

 

まぁ実際は耐えてないかそもそもクソだと思ってなかったりそこまで考えてないってことが大半だとは思うんだけど基本的になんか救われたいとかさ、生きたいというよりかは魂が救われたいって思うのって無神論者でも何気にそう思ってたりするわけじゃん?で、まぁ大雑把に書くと禅とか仏教だとまぁ根源は無だとするっていうかまぁニヒリズムっていうことではなくて別に特に捉えられる必要もないようなものを有とすることでそっから逃げられなくなってるっていうただまぁこういう禅的なのもミスリーディングされやすいっていうかミニマリストとかがその典型だよね。

 

世俗化された禅とか古いけど断捨離とか何の解決にもならないまま根本的なものが掘られないままで終わるっていうまぁその思想と世俗の関係は考えてもしょうがないんだけどかといってもまぁ個人と思想ってことでも無なんですって言われたところで別に特に変わらないよね。それが禅的な無なのかニヒリズム的な虚無なのか、まぁ俺は無に属性は無いと思ってるんだけどその辺をマイスターエックハルトは無であるところの神を有としてあとは無とするっていうプログレッシヴ過ぎる神学だと思うんだけど根源的な神学というか有か無か?とかっつーよりかはどう生きるか?だよね。

 

まぁ無を置くってことはそもそもなんつーか全く概念が無いものに無って置けないじゃん?有があるから無っていう概念が生まれるわけだよね。全く概念がないものに関しては有でも無でもない。ただまぁ神ってそういうもんなんだと思うけどただまぁ大体の宗教じゃそうは考えないよね。聖書はまだ読んでないけど神がべらべら喋るしぶっちゃけあんなもんをベースにどうやってキリスト教思想なんてのを確立したんだろうか?って思えるぐらい稚拙だなっつーかあとはまぁ歴史的な価値として過大評価され過ぎてるっていうかさ、もっと深遠であってほしいのにテレビドラマみたいな展開で冷めるっていう(笑)まぁそれも偏見だから真面目に取り組むけどね、なんかまぁだから別に聖書なりキリスト教なりに帰依しなくてもおっ!と思えるような価値観とかニヒリズムに抗えるようなものがあったりすればいいんだよね。なんかまぁサンプリングネタ探すためにレコード掘るDJみたいなもんだね。

 

大体のやつ掘り終えたからハワイアンのファンク掘ってるんだよねみたいなまぁMuroみたいに掘り過ぎて最終的に僻地みたいなところの珍しいものを掘るようになるみたいな、そういうディグの段階なんだとは思うけどね。ただそこでただ掘ってるだけとかおっ!と思える一説があればいいなぐらいの感覚でいるとかいいつつもやっぱりまぁ最近読んだ本で宗教学をやるんだったらある程度宗教的な人間じゃないと無理っつーのもまぁある意味入ってなきゃダメってことなんだよね。で、まぁぶっちゃけポイントはそこなんだよね。特に書かないけど別に今みたいに神学やってみようか?なんて思う前から夢とかだとなんでこんなにキリスト教っぽいモチーフのものが多いんだろうな?っていうぐらいそういうのが多いっていうかまさに意味不明なところだよね。

 

あんなのバカが信じる宗教だって昔から思いつつもなんか常に気になる存在っていうかさ、まぁ俺ってスピ的要素っていうか真面目なところ取り除くとまぁスピとかオカルト大好きだからね。ただまぁそういうところになっちゃうともうダメじゃん?ただのオカルトだからね。なんかそういう分からないところっつーのと今まで自分がやってきた知的なものの積み重ねっつーのが交差する感じっつーのかな。何回も書くけどそりゃ下手するとただのニューエイジとか安っぽい神秘主義になるんだけど好きな子にあえて意地悪したくなる的な十字架があれば逆さにしたくなるみたいな気になる感じがあるんだよね(笑)

 

ニーチェ的だったり根本クソみたいに左翼だからっつーところもあるんだろうけど超絶的に唯物論的で無神論っつーよりかは反神論的な俺が知的誠実性を発揮したプロセスで今はキリスト教を掘るってことになってるっていうのが面白いよね。

 

なんかまぁ自分の中で哲学シーズン2が始まった感じっつーかまぁ哲学から数学に鞍替えしたのがちょうどもう10年近く前になるけどまぁそんだけ時間が経ってシーズン2が始まってるのかな?って思うと生きようって気になってくるよね。何より退屈しないからね。ゲームとか一切やらなくなったもんな。読むの多すぎてエロサイトすら見てないもんね。薬の副作用が凄すぎて性欲が無くなってきてるってのもあるんだろうけど(笑)まぁそういうのも含めてまぁ久々に読書三昧っていうかそれがちょうど去年の保田師匠みたいな感じじゃなくて誰かの思想というよりもう一つのジャンルだよね。全集とかだとその人をディグるって感じだけど神学やら宗教やらキリスト教ってなるともう全く今までやってこなかった学問のジャンル一個最初からやるみたいな感じじゃん?ギターはどこに行ったのやら?って感じだけどまぁそういう流れだからそれでいいんじゃない?っていうのはあるよね。

 

クソ時間がかかりそうなことに夢中になれるってのはまぁその時は最高に幸せだわな。ただまぁ救いを求めたら絶対ダメだなっつーのは思ってるよ。もうそれが無いと無理!ってまぁ一時期のギターがそうだったけど対象がギターならいいけど対象が宗教だとヤバいからね。いつのまにか洗脳されてて護教的になるっていうのが一番マズイわ。ただその一方で求める心みたいなのはここ数年の俺みたいに実存とか生きる意味がズタボロみたいになってないとそこまで必死になれないっていうところがあって諸刃の剣って言い方が正しいかどうか分からないんだけどまぁなんかとりあえずファッションじゃないんだよね。やってますアピールじゃなくてマジですっていうマジが故に危ないところがあるっていうところだよね。そこはもう自分の理性を信じるしかないんだけど。

 

まぁそんな感じでとりあえずまた当分やってけそうなので今年もよろしくってことで今日はこの辺で。

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