ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/修道士による日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

新年二発目。

新作貼るわ。爆音ではないので。

 

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キリスト教っつーかあとイスラムだけど調べてるとようは歴史にも関心が出てきて例えばオスマン帝国とか近代のアラブ諸国がどうのとかって分からないじゃないですか?っていうかそこは受験とかやってこなかったっつーか歴史に相当疎いんですよね。まぁんで宗教っつったらもう歴史との関係性が不可避でさ、まぁなんかディグるのが増えるとテンション上がりますよね。メインはキリスト教だけどまぁキリスト関係とかでも中世から近代からあとまぁ近代っつーかちょい前のドイツとかさ、あとまぁヘーゲルとかある程度キリスト教とか神学を踏まえた上でのフォイエルバッハとかの無神論ですよね。

 

すでに持ってる本とかも含めてまた再読の機会が増えて後まぁ読む本が多いっていうかこなしていくというよりかはウキウキしながら着手できるっていうのが毎日楽しくてしょうがないわけなんだよね。いやーこれはもうビッグウェーヴ掴んだでしょ。別にギターやめたわけじゃないけど10月上旬の死にそうな近年まれに見る激鬱からの復活劇がヤバいよね。

 

結局まぁホント、分からんよ。なにもねーな面白いのがって思っててもそれはその時の視野でそう思うんであってまぁ例えば自分の場合、内面の成長が結果的にインプットに繋がるっていうかまぁ全く興味ないどころかむしろ嫌いな宗教についてまぁその神学的な観点というのが画期的なわけなんですよね。社会学的にだとまぁそんなに詳しくはないけど読んでなくはないんですよね。

 

ただなんつーのかな、別にキリスト教徒になりました!ってことじゃなくてただまぁすげー惹かれるというかまぁあれじゃん、最近書いたけどニーチェとかフォイエルバッハとかも逆張りキリスト教みたいなもんでシュテルナーとかにしても考えられない自己というのがまぁ考えが介在しない絶対的な意味での自分ってのがまぁようはそのまま別にそれを自我と呼ぶのか神と呼ぶのか?っていうところで世俗宗教とは違う高度に抽象化された宗教なり神学から見ると言ってることっていうか概念が同じどころかすべてを観念なりあとまぁ即物的な自我ってことにすると聖書学とか歴史とか踏まえない簡略化された自我ってのが抽出されるんだけど神学を経由しての自我ってのがまぁ言わば秘儀ですよね。

 

一部のまた一部の人にしか理解されてこなかったようなものってのが確実に存在しててさ、ただそれも思弁的なのも含むけどやっぱりその信仰という意味だとよく言われるように圧倒的な「出会い」なんだよね。個人的経験に帰依するわけ。それを啓示と言えば啓示なんだけど他のジャンルだとアハ体験!みたいなのが神学的な場合、啓示になるんだけどただそれは概念が対応するだけで全然質は違うんだよね。

 

個人の妄想なのか啓示なのかは分からないんだけどまぁ啓示だと措定して色々ディグるってことなんですよね。ただそれはそれに出会ったっつーよりかは長年の積み重ねの結果そうなるっていうようなことで前に出来事をエクリチュールかの如く理解するってことを書いたと思うんだけどその時ヤスパースが出来事を暗号として見るって言ってたとか知らないでまぁ勝手にそう思ってたんだけどそういうまぁなんつーかコンテキストがあるわけなんだよね。

 

いきなり全然違うパラダイムのものにシフトするというよりかは積み重ねで考えてきたことの最前線として神学があるっていうかといっても理性で考えるとそれは信仰にはならないんだけどそこで仮に信仰を深めるとすればそれは知的行為以外ありえないわけなんだよね。日々考えることとか出会うこととか感じることと知的活動が対応してなおかつそこにこじつけじゃない必然性を感じられるっていうときに信仰が深まるんだけどそれは別に宗教的な意味合いを帯びなくても哲学でもそうだよね。ただとりわけ神学という場合、自分はそうは考えてこなかったかあとはまぁちょいスピ入ったような考え方は好きだけどそういうレベルじゃない宗教体験だよね。

 

だからまぁそれはすげー個人的でクリスチャンになりました!とかあえて明言するようなことでもないし呼び名はどうでもいいものっていうかさ、まぁマルキストになりました!って言わないじゃん?まぁどんどんマルクスにかぶれていってそうなるわけでまぁただ自分にとっての思想のシフトなんだよね。ただ全然今までのを経由してるっていうかそれがないと成立しないような必然性があるっていうところに啓示を感じるってさっきも書いたけどまぁあとメンタルヘルス的にもいいですよね。ハマれるものがあるってのは。

 

ギター始めたときにギターを中心に音楽を捉えなおすとかと同じような感じで去年の三月ぐらいのギターに目覚めた!っていうところからの興奮とまぁパラダイムシフトって言うかさ、それがまぁ今は神学になってるっていう感じなんだよね。でもいきなり神がどうのって言い出すとかっていうような怪しいものではなくてあくまで理性の過程という感じなんだけど長らくこういう思想的なものって詰まってたからね。

 

いつもニーチェ的な帰結で終わるっていう感じが続いててまぁ哲学的なものから保田師匠とかは別としてまぁ遠ざかってたっていうところがまぁ今はシーズン2に突入でヤバい伸びしろを発見したという自分のポテンシャルというよりかは自分のポテンシャルを高めてくれるようなものに出会えた!っていう出会えたかな?っていうのが先月ぐらいに神学とか言い出してたのがまぁまだほとんどのものを読み終えてないけどだいぶ読んできてそれが確信に変わったんだよね。

 

まぁんでやっぱりまぁキリスト教だけど宗教的なパラダイムの研究という意味でイスラム研究も欠かせなくてさ、まぁマジでゲームやってる時間とかがないぐらい読む分量がヤバいんだけどなんかまぁやっと歴史を理解するっていうフェイズに至ったのかな?っていうまぁ日本人って宗教音痴だからね。それが良いところでもあるし多神教と言えば多神教なんだけど別に神社に行くっていうことが例えば新年にしても宗教的行為ではないんだよね。まぁハビトゥスっていうかさ、まぁそれはそれでいいんだよね。別に海外の宗教とかどうでもいいしっていうまぁそれはそうなんだけどただまぁ宗教を理解しないと分からない歴史とか考えってあるわけでさ、そういう意味でまぁ出発点に立てたという感じがあるんだよね。

 

一神教=悪っつーイメージしかないけどそういうもんじゃないっていうまぁぶっちゃけイスラムは分からないけど自分が思ってるキリスト教ってのは神道とか仏教と矛盾しないっていうのかな、整合性があるんだよね。そういう意味でなんつーのかな、仏教が別にブッダが生まれたときに天上天下唯我独尊!って言ったとかまぁそれが本当かどうか?とかどうでもいいよね。

 

そういう意味で神学を思想とするようなことではないんだけどただまぁジーザスもそういう意味で同じというかさ、ブッダが生まれたときにそれを本当に言ったのかどうか?ってのが思想に関わることじゃないじゃん?そういう意味での過剰な護教的なものには常に批判的というかまぁそういう意味での世俗的な宗教は嫌いっていうのはもうずーっとあるよね。過去のキリスト教とか野蛮すぎるしでもまぁあんなのキリスト教じゃないですよね。ムスリムの首を切って投石器で投げるとかまぁ神の徒がすることじゃないですよ。十字軍とかヤバいよね。まぁそういう歴史的なことも学ぶんだけど馬鹿とか権力者が宗教を曲解するとか歪曲して政治的に使うとか根が深い話ですよね。

 

ただまぁ今までの俺の理解ってそれで終わってたからね。野蛮なバカがハマるのが宗教っていう認識だったけど肝心の宗教そのものはどうか?っていうとすげー長い歴史があって思弁的な積み重ねと努力ってのがあって磨き上げられてきたものでさ、それはまぁちゃんと理解すれば福音足り得るものだっていう確信があるんだよね。

 

そのぐらい高度な抽象性と思弁と理論とかといってもそれだけでは終わらない日々での体験と実感っていうまぁ自分がクソゲーとしてきた人生っていうのがまぁニヒリスト的に言えばそうなんだけど神学的に言うと神学の道なんだよね。それを体感できる場所とかっていうことになるわけでまぁ俺が昔ヴァーチャルとリアルの区別なんてないっていうまぁハイパーリアルとかって呼んでたけどまぁボードリヤールとかとは違う意味なんだけどまぁそのハイパーリアルの枠組みよね。どう世界を形成するのか?っていうところのパラダイムと凄くかかわるものなんだよね。

 

で、まぁそれがプラトニズム的な善さとかまぁ善く生きるとはどういうことなのか?っていうところとも直に繋がるっていうまぁすげー実践的だな!って思うわけなんだけどまぁ書きたいことは色々他にもあるんだけどまぁとりあえず今日はこの辺でいいや。んじゃまた。

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