ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/修道士による日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

読書三昧過ぎてそれしか考えられぬという幸せな日々。

ウォール伝放置になってんなっつーかもうヤバいですよ。読書熱というかアガペーとエロス熱がよっしゃ!学問やるぞ!って心に決めたニューヨーク一年目ぐらいの時ぐらいのパッションがあるね。まぁやっぱ本当に数学以来の全く未開拓で一からやるものとして取り組むっつー意味での知らないことだらけでなおかつ学んでると楽しいっつーまぁなんだろう、そこは宗教というよりやっぱり思想だよね。もちろんキリスト教がどういう宗教か?っていうのもそりゃ勉強するんだけどやっぱり個人的に関心があるのがまぁほぼ全部なんだけどまぁ特にやっぱり中世から近代にかけてっていうかまぁそれ言い出すと原始キリスト教もそうなんだけどキリスト教とその歴史だよね。

 

ローマ帝国キリスト教を乱用し始めて元は貧者と弱者のための宗教だったのが権力の象徴になったりだとかっていうまぁネガティヴな面を見るのは元々唯物論的で無神論がデフォの俺みたいな元左翼にとってはっていうかそこが俺のベースだからね。だからもう批判的にしか見ないよね。もうだから宗教って穴だらけなんだよね。そりゃもう突っ込みどころ満載なんだけどでもそこで元のラディカルだったキリスト自体の教えっていうのを解釈して所謂人文系の知恵というか知的作業の歴史ですよね。んでまぁバルトに至るまでの近代神学までの形成とか歴史との兼ね合いとかさ、まぁそういうのが面白いよね。

 

読む本多すぎてあんま書く時間無いんだけどまぁまだそんなに書くような段階じゃないんだけどまぁまず思ったのが原理主義の害悪だよね。原理主義っていうかまぁ聖書に書いてあることをそのまま守らなきゃいけない!みたいな偏屈な考え方ね。そこでまぁ同性愛とかは罪っつーかダメとされているからダメとかさ、依拠するところが聖書に書いてあるからっつーのもそれってめちゃくちゃで時代的な背景考えないといけないわけだよね。2000年以上前のリベラルさなんてのが無い時代だったら同性愛ってだけでそれは罪深いとされるみたいなのもまぁようは思考が古いわけだよね。それは聖書に書いてあるっていうより当時の価値観がそうだったっていうわけで別にそこで書いてあることが原則ってことじゃないんだよね。

 

それを時代的な考察も含めて現在の自分なり社会なりがどう聖書を理解するか?っていう解釈学っつーと語弊があるかもしれないけどまぁその辺がバルトとかが言ってるような聖書に神を見出すっていうことだよね。ただまぁそれは人間の言葉で書かれててもうその時点で神のロゴスと人間のロゴスの差が著しいわけでエラーだらけなんだよね。だからこそ読む側のリテラシーを上げて神を見つけなきゃいけないっていうところなわけじゃないですか?同性愛とかにしても昔の感覚で言うともうそれは殺人とかレイプとかと同じぐらいの重犯罪だって考えられてたとしてっていうかまぁ当時がどういう扱いだったか?ってまぁそれも色々読んで行かなきゃいけないんだけどまぁでも分かるよね。まぁ逆にギリシャとかだと少年愛なんてデフォだったんだけど一世紀とかのイスラエルとかはどうだったのか?とかまぁ所詮は相対的な時代の価値観ですよね。

 

んでまぁ例えば聖書がそういう性的逸脱行為は罪だみたいなことを書いてても例えばそれを今のリテラシーレベルで解釈すればそれはやっぱりレイプとか痴漢とかっていう明らかな罪の場合なんだよね。まぁそれはもう純然たる悪じゃないですか?逆にまぁそこでそういう純然な悪によってなされたレイプで妊娠しちゃってその子供を中絶したいっていうとそれは殺人だ!とかっていう意見もあるわけでしょ。マザーテレサとかもそういってたらしいけどそんなのTPOだよね。それはレイプされた女性の心情を考えるのが倫理なんであってそこを偏屈な原理主義的な宗教原理が大事だ!っつってそのレイプされた女性の気持ちなんて考えないなんてのがあったらもうそりゃ何よりジーザスが「オーマイゴッド!」って言っちゃうぐらいジーザスなことでしょう。

 

おいおいそりゃ間違ってるぜ!ってジーザスが言うに決まってるよね。でもまぁジーザスはいないんだからそこはキリスト教的倫理で考えるっていうところでそこでまぁようは聖書に書いてあるからみたいな原理で言うのか聖書を解釈したっていう高度な倫理で言うかってことだよね。高度な倫理ってのは当然聖書でしか考えないような偏屈なものは問題外でそりゃもう倫理学から哲学から心理学から色々と考察したうえでの倫理でまぁそういう意味で超絶的にアカデミックだよね。あんま勉強してないやつがどうこう言える問題じゃないしだからこそ聖書に書いてあるからで済ませられるのは色んな他の聖書以外のフィールドについて知らなくてもそれを原理にすればいいからっていうまぁ聖書馬鹿みたいなもんだよね。

 

んでまぁ当時は同性愛は偏見だらけなのと今みたいなLGBTみたいな科学によって進歩した同性愛の科学的理解ってのがあるわけでさ、まぁそれを踏まえると全然罪じゃないよね。むしろ性のディレクションは多様だっていうことなわけでんでも原理的に言えば逸脱行為がダメなら挿入するセックス以外ダメでコスプレでやるとか脚コキみたいなのも全部逸脱行為になってもうそれが罪になって救われないってことになるわけじゃん?まぁそりゃ常識的に考えてありえないよね。普段はすげーちゃんとしたキリスト者アガペーとエロスに満ち溢れた人格者でも性癖は変態で例えば全身タイツを着て縛られている状態で女王様になじられないと興奮できないとかっていうのがあったとしてもそれってまぁ趣味の領域なんであってさ、別に罪じゃないよね。

 

オナニーが罪だとかっつー価値観とかも古臭い宗教の考え方なんであって時代はもうリベラルの時代ですよ。リベラルデフォというかまぁそもそもオナニーが罪でそれを常に我慢しながら生きるなんて苦痛でしかないでしょ。まぁその苦痛を受難とかって言えばそれはいいのかもしれないけど意味ない苦労とそれこそ根拠が無いオナニー的な我慢とそれに耐えてるから俺は敬虔なんだ!って思うような人間中心の考え方だよね。ジーザス然りだけどまぁあと創造神とかにしても旧約の世界ってめちゃめちゃでよく分からないからまぁまだ勉強の途中だけど創造神から見たら人間なんて人間から見たダニみたいなレベルの存在だよね。

 

そんぐらいの存在がオナニーしたところでなんでもないでしょう。逆にそんなので罪認定されて神が怒るとかもう知らねーっつって救いの対象にならないとかそんな神はそもそも神じゃないでしょうっつーか人格を持った神としてジーザスは受肉したんだけどその元の神は人格神じゃないからね。もう想像つかんような想像しても意味ないレベルの存在でしょう。そもそも世界作るレベルなわけだからもう人間の認知とか考えじゃどうにもならないよね。

 

まぁそんぐらいでかい存在の神がいちいち人間のオナニーとか変態プレイを気にするのか?っていうところだよね。あとまぁ聖書に書かれててもそれは当時の価値観で言えば変態行為はヤバ過ぎてもう即死刑になるぐらいの厳しさがあってもそれは聖書が決めたっつーよりただの当時の価値観だからね。でも聖書に書かれてるっていう意味でその価値観をそのまま鵜呑みにするんであれば二千年以上の前の価値観なりルールを現在に適用するっていうことなわけでそんなの破綻するに決まってるでしょう。

 

例えばさ、こういうのは罪になるっつー例で例えば強姦とか殺人とかと同じ類のものとして同性愛行為ってのが挙げられてたらそれは当時はそんぐらいストリクトだったんだなっていうことなだけで普遍的なルールじゃないからね。現在でゲイガップルがいたらもうその存在自体が死刑に値するものなんてそんな考えありえないでしょう。まぁそりゃ当時の価値観だけど今は違うよねっていう現在の価値観で読まないとっていうかそもそも聖書をそんなリテラルに厳格に定められたルールブックなんて読み方したらそこに神なんて見いだせないですよ。

 

相当なリテラシーレベルを持つ良い心を持ったやつが読むと神の言葉の片りんが見えるかも?ぐらいのものなんであってまぁ相当に高等なもんなんだよね。だけどまぁそんな理解をすべての人に求めるのは無理だから教義を単純化した世俗化された形の宗教ってのがメジャーになるわけでまぁ仏教でも教えがどうのっつーよりお題目唱えてれば極楽にいけるみたいな簡単なシステムを作り出して世俗化させるとかっていうまぁman madeなシステムですよね。でもまぁ聖書って仏教とか他の聖典と同じで相当に高等なもんで抽象度高いわけなんだよね。神を見出すのが大変なんだけどだからまぁ頑張って研究して読めるようにするわけでしょ。でもそれを文字通りに読むんじゃなくて神を見出すっていうやり方で読むわけだからもう大変だし大抵の人は時間と労力の関係で出来ないよね。

 

だからまぁ俺みたいな数奇なやつが聖書にこれだ!みたいな直感を感じたからそれに没頭するみたいなやつがやっていくしかないんだよね。めっちゃ小乗だと思うんですよね。でもアガペーとエロスの実践はできるからね。善くあることっていうのはめっちゃ聖書を研究しなきゃできない!っていうようなことでもないからね。別にだから善くあれば聖書とか関係ないしまぁリファレンスとしてはいいけどまぁ別にどの思想とかどの宗教を選ぼうがそれはもう個人の自由だよね。ただまぁ原理主義だけは絶対避けなきゃいけないよね。書いてあるから同性愛禁止!みたいな偏屈な理解をしてるやつらはジーザスのスピリッツを全然理解していないわけで異端もいいところだよね。

 

まぁでもそういうやつらのほうが政治力が強い場合、リベラルなちゃんとした考えでキリスト教を理解してるやつらが異端扱いされるんだろうけどまぁそこはもう政治ですよね。パワーバランスですわ。でもキリスト教そのものは変わらないよね。ようは隣人愛を唱えるような思想で今ぐらいのLGBT理解が進んでる社会でキリスト教は同性愛を差別するんですか?っていうことだよね。ありえないでしょう。そんなの。

 

なんつーかそこはもう理で考えて明らかじゃんね。聖書に依拠してなきゃマズいの?ってところだけど細かいところを突けばそりゃ矛盾とか現代との価値観の違いってのは当然あるんだけどでも問題はそういうところじゃない普遍的な愛とかってことだよね。それが良い社会を育むっつーまぁなんのひねりも無いシンプルな思想なんですよね。まぁ深めるとそりゃすげー深い部分があるんだけど表層的なレベルですらもそういうものなんだからまぁそういう意味で人間の良心とある程度の知識が介在しないと聖書を神の言葉としては読めないわけなんですよね。

 

だからまぁ書いてある通りにやる!なんつーのはありえない読み方でまず避けなきゃいけない読み方でしょうっていうか多分そういう読み方をする人は聖書しか読んでないかまぁ神学とか勉強してないんだろうなって思うんだよね。だってもう聖書の解釈なんて思想家の数だけあるといっても過言じゃないぐらい多様なわけでさ、でもまぁ普遍的な根本の概念の違いってのは当然あんまりないんだよね。ただまぁそういう思想とか人文系のめっちゃ頭が良かった人たちの先人の努力によって培われてきた聖書の読み方とか神学とかですよね。それを受け継がないで聖書に書かれていることをそのまま受け取ってはい同性愛は罪です!って言うなんてもう外道っつーかそんなの邪教ですよね。

 

キリスト教に対してのニーチェ的な批判とか後まぁドーキンスみたいな神なんているわけねーどころかロクなことしてねーよなみたいな本も出るし売れちゃうわけだよね。それはキリスト教に非があるんじゃなくてそうやってディスられるような失態をしてるキリスト教解釈だったり世の中にカルトも含めてあり過ぎる大半がロクでもないっていう感じの宗教団体全般への批判ってことが成立しちゃうんだよね。でもまぁそれは人の子である人間の愚かさなんであって教義そのものにあるわけじゃないからねっつってもまぁ宗教全般っていうことじゃなくてキリスト教しかほぼ知らないからキリスト教は少なくともそうなんじゃないの?って思うわけね。

 

まぁ分からん、イスラムとかだとなんかまぁメディア操作とかもあるんだろうけどまぁ女性が不倫してたとかで石打の死刑になるとか不倫だったかなんだったか分からないけどまぁやっぱ「え?マジで?」ってなるよねそれは。まぁそりゃ何千年も前に書かれたルールブックをベースにしてるからそんなことになるわけでしょう。でもまぁそれも文化だから別にそこでキリスト教VSイスラムにする必要はないんだけどまぁでも話ちょっとずらすようだけどなんでそんなので石打の死刑になるの?っていうぐらい時代錯誤な感じなのがキリスト教の同性愛批判とかなわけですよ。

 

原理主義的だからバカバカしくなって若いやつらは教会離れっつーか宗教離れするのは当然だしだからこそ勿体ない!って思うよね。すげー思想的で宗教的な含蓄があるものなのにそういう世の中の組織とか政治で疎遠になる人が増えるってのはまぁやっぱり運営がダメってことなんだよね。思想自体はめっちゃラディカルだからね。反資本主義的ですらあるわけで左翼思想とのつながりもつなげようと思えばいくらでも繋げられるぐらいのフレキシブルさがあるよね。

 

まぁようは左翼的考えを持ってても一見保守的に見えるキリスト教でもそりゃ解釈者が神を見出すわけだからその人間の元の思想とか人間性をベースにその人なりの神を見出すっつーのが聖書だったりまぁイエスの言葉とか行動っていうことなんだよね。だからまぁ逆にあれですよね、同性愛は受け入れられないってそれが聖書に書いてあるからっつーより結局その反対したいだけなんでしょ?っていうそいつとかそういう組織の実存の問題なんだよね。

 

そこを聖書とかを引き出してだからダメなんですってまぁようはキリスト教を権威化して言うわけなんだけど極めてまともなキリスト的思想の理解をすれば現代においてキリスト教的な隣人愛を説くようなものが同性愛というだけでアウトとされるなんて論理的整合性全くないわけですよ。もうむしろ真逆ですよね。ありえないぐらいの真逆。でもキリスト右派みたいなのはそういう感じなんだよね。まぁ究極の邪教かもしれないよね。歴史的にもそういうキリスト右派みたいなやつらが問題起こしたり戦争起こしてきたりしたんだろうなってまぁ今は歴史の本とか読んでるけどまぁ偏見だけどまぁそう思っちゃうよね。

 

逆にまぁなんでキリスト教っつーのがベースにある連中が大量虐殺したりするわけ?っつーのが逆に現代の偏屈な聖書原理主義者とかキリスト右派みたいなやつらの行動とか発言を見ると分かるよね。あーああいうのが歴史的にずーっといたんだろうなっていうところだよね。

 

そこでまぁようやくフォイエルバッハとかシュテルナーとかマルクスとかニーチェみたいなのがそんなのクソだろ!アヘンだろ!って宣戦布告したんだよね。でもまぁ長い歴史から見るとめっちゃ最近だよね。でもまぁその批判も何回も書くようだけどキリスト教そのものじゃなくて腐敗した教会だの組織だの宗教の在り方だのっていうところへの批判だよね。あとまぁ西谷の本にも書いてあるけどフォイエルバッハとかは無神論っつーより神の置き場を変えただけで神学的フレームワークは変わってないっていう意味でまぁ神学ベースなんだよねっていうかまぁハイデガーもそうだしそんぐらいまぁ西洋ってのはキリスト教がデフォなんだよねっていうことなんだよね。まぁこの辺についてはまた今度書こうかな。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。

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