ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/修道士による日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

令和スペシャル第一弾!。

いやーそろそろ平成も終わりますな。留学初期で所謂ホームページからブログに移行してもう12年っすよ。ヤバいっすよね。そりゃ歳も取るわ。ホームページ時代を含めると来年ぐらいで20周年だわ。ってことでまぁ昭和から令和になるわけなんだけどっていうか書き間違えで平成から令和って感じなんだけどそういうわけなんで令和スペシャル!と題して世間的な10連休中毎日なんらかの投稿をするってのを義務付けたいと思いまする。まぁ今日から来月の6日までって感じか。

 

あ、んでサルベージしたやつのアップとあと一曲新作あるけどまぁ基本ノイズばっかなんで。

 

https://soundcloud.com/mimisemi/unknown-recording

 

https://soundcloud.com/mimisemi/computer-muzik-10

 

https://soundcloud.com/mimisemi/computer-muzik-11

 

https://soundcloud.com/mimisemi/withdrawal-symptoms

 

https://soundcloud.com/mimisemi/imaginary-landscape

 

https://soundcloud.com/mimisemi/sacrilege

 

https://soundcloud.com/mimisemi/computer-muzik-12

 

https://soundcloud.com/mimisemi/computer-muzik-14

 

あ、んでこれはある程度書いて改めて書き始めると止まらなくなったんでネタが切れそうだから今日はこれぐらいにしてまた明日書くわってこともできないというか明日書く気になるか分からないからセコいんだけど令和スペシャルプロジェクトを成し遂げるためにも長くなり過ぎたやつとかは日にちを分けて小出しにするわ。まぁ普段からも長いやつはそうすればいいんだけど最近はその小出しにするっていう作業自体が面倒でもう一気に張ったほうが楽だしただそんな長文誰が読むのか?っていうむしろ小出しにすればサラッと読めて続きはまた明日っていうほうが読みやすくね?とかって思ったんだけどまぁ最近書いてるようにもうウォール伝自体のアクセス数が減ってだいぶ経つんでぶっちゃけもう見栄えとか読みやすさとかどうでもいいんですよね。

 

とりあえずまぁ俺が生きている限り続けるっていうところがコアな部分ですからね、あとまぁその色々と見栄えとかアクセス数とかじゃないけどそういうのを考え出すと色々と工夫が必要なんだけどこれまたそれが面倒なんだよね。そういうのを考えたりやる時間があったら本読みたいっていうかもっと神学の知識をキリスト教だけとは言わずイスラムとかユダヤ教も含めて深めたいっていうのがあるからまぁプライオリティが低いんだわ-。

 

でもまぁそれが継続のコツだったりもするんじゃない?とかって思うんだよね。俺のSoundcloudじゃないけど誰も聴かないだろうなっつってもとりあえずアップしておけばアクシデント的に聴いた人がいいな!って思えたりしたらもうそれだけでいいんですよね。別に宣伝とか頑張る必要ないしそういうの頑張り始めたら疲れるもんね。そういうところに労力持っていきたくないんだわー。くっきーがいきなり標準語になったときに「何々なんだー」っていうのがすげー好きなんだけどリアルで披露する場所が無いしかといって文字で書いても伝わらないんだけどまぁいいかなっていう感じで書いてるのはまぁそれ言い出したらウォール伝自体全部そんな感じだからね。

 

ってことでまぁ令和スペシャル!の第一弾なんだけどまぁ相当長くなったからまぁ何段目まで行くか分からんけど令和スペシャル始まるよ!って感じでまぁサクッと次世代を担っていきましょうね。みなさん。

 

んでちん猿さんに返信を書いてたらめっちゃ長くなって読みづらくなったんでここに貼るですね。

 

ちん猿

 

<例えば町工場とかのおっさんのブログとかの一節に社会に関する鋭い一節とかが紛れ込んでる場合もあるんだけど人気ブログとかならともかく誰が町工場のおっさんのブログを読むのか?って話で> めっちゃ笑いました。でも本質をついてると思います。東大教授とかキンコン西野とかの中身のない話でもみんなそっち感動したとかいっちゃうわけですよね、寂しいです。

 

ですよね。逆にまぁそれが明白だから肩書を取っておくために箔をつけるために学歴だとかなんたら賞受賞とか誰々推薦!みたいな本質と関係ないところでのラベルってのを手に入れることに腐心するわけですよね。

 

キンコン西野とかホリエモンとかって浅いですけど言ってること間違ってるわけじゃないしまだいいかなって思うんですけど、ヤバいなって思うのはそれが本職だろう?っていうような人たちも大げさなこととか難しそうなことを言ってるようでキンコン西野とかとあんまり変わらないっていうところだったりしますよね。

 

キンコン西野とかホリエモン系の自己啓発とかって良いと思うんですけど例えばやりたいことで金を稼ぐっていうのも分かるんだけど何かというと結局やっぱり金なのかっていうようないかに好きなことをして生きていくか?みたいな本でも結局金の話なんですよね。食える食えない関係なく本質的な表現とか生きるとはどういうことなのか?っていうようなまぁビジネス臭が一切しないようなこととかってのが重要なんだけど結局まぁこれも一昔前の話なんですけどいかにバズるか?とかまぁなんかいかに目立つか?みたいな表層的なことばかりにフォーカスが行き過ぎている結果、今みたいに毒のある個人ブログとかがあんまり無くなっちゃってどれもこれもまとめサイトのまたまとめみたいなのを書いているみたいなネットの並列化のつまらなさ加減ですよね。

 

別にこれってネットに限らずカルチャー全般そうなってますよね。あとまぁどうやって食ってるの?みたいな謎だらけの作家とかアーティストがまぁそういうのがゴロゴロいた世代の人たちが歳取って普通に死んでたりとかしてそういう毒だらけのものみたいなのが薄っぺらいカルチャーによって中和されたりあとまぁ伝説化することである種の定型化みたいな形になっちゃってて結局形骸化して精神性が受け継がれないみたいな、まぁ僕がここでよく言う90年代ぐらいまでは色んなカルチャーが多少劣化しつつも地続きで色んなヘリテージを継承してきたっていうところの断絶が2000年以降顕著になってデジタル世代とかネット世代とかっていうと聞こえはいいんですけどまぁ薄っぺらい誰が作ってようが関係ないようなアルゴリズムが作ったのか?っていうような無味無臭のものばかりが生み出されるようになったというような、まぁそれも人間もようはアルゴリズムの一環なんだっていう風に考えれば自然なんですけど例えばドゥルーズなんかはそういう取り込まれるようなシステムから常に距離を置くというか外部化しろってことを凄く言ってましたよね。

 

で、まぁ後に外部なんてのは無かったってことが分かってもでもまぁその外部化しろという精神性とか思想って受け継ぐべきでそれって実際に外部など存在しなかったというような実際のところの現象とは関係ないと思うんですよね。現実はどうあれそれを貫徹するっていうのが思想ですからね。

 

そういう思想臭いのとかも時代遅れみたいな感じになっちゃってまだ哲学ごっこしてるの?的なシニシズムがかっこいいように見えてしまうような空気感とかまぁそういう所産がみんなおんなじ服を着ているとか全く個性が無いとかっていうようなことにも繋がってるんだろうなって思うんですよね。

 

日本って村社会ではあるんだけど自分の実存抜きにでもやっぱりまぁ90年代とかって奇抜な恰好をしてたり将来のこと考えてないだろうなっていうような今に生きるようなアーティストとかアーティストと言えないような何やってるか分からない人とかいたと思うんですけど今はまぁ潜在的に存在しても所謂一般的に言われるマージナルな存在とは別の次元で本当にマージナルな存在として顕在化しないような存在になってるんだろうなって思うんですよね。

 

マージナルな存在自体もラベル化されてある種のジャンルになってますからね。結局はマスカルチャーというか消費カルチャーですよね。

 

全てがいつの間にか構造に取り込まれてしまうし取り込まれた側はそれに気がついていないっていうところがまぁ結局はドゥルーズにせよ構造化されないということを意識しているというようなカッコつきの虚偽意識にしても結局は考えているようで考えられてないんだなというか、それは構造が構造化を促すスピードが速くなっているのと影響が大きくなっているということでもあるとは思うんですけどそういうのってまぁオートメーションというか機械的なものですよね。

 

で、まぁ人間的なものって色々ありますけど端的に言えば心とか思想とかっていうところですよね。オートメーション的なものが意図せずにそういった人間の心を奪うっていうことがあるんだなっていうのを最近感じますね。みんな勝手なことをツイートしたり振る舞っているようで全く個性が無くてロボットが並列化したようなパターン化されたものになっているんですよね。

 

AIが人間を支配するってまぁこういうことですよね。直接的な支配ではなくて間接的な支配ですよね。ただまぁ意図があって支配しているわけではなくてそれは自動に行われるっていうところですよね。

 

人間が考えることを本質的なレベルでやめてしまったら本当に将来はディストピア以外ありえませんよね。だからまぁそこに心があれば町工場のおっさんがブログで何気に書いたことに感嘆を受けたりするわけですよね。でも自動化された人間はそういうのを読まないし感嘆しないしオーサライズされたものに機械的な反応しかしなくなるわけですよね。

 

まぁだからちん猿さんが言う「寂しいです」という感覚が凄く良く分かります。取り残されている感じですよね。みんなそっち側に行っちゃうのか・・・っていう寂しさですよね。

 

ということで以下からがエントリーになるですね。

 

まぁー色々ありましたね。平成は。色々振り返ろうと思ったんだけど自分って振り返る率が高いから毎年何回かは音楽の聴き始めから哲学のやり始めまでの話とかしてる気がするんだよね(笑)まぁだからとりあえず最近の話でいいかっていうか別に普段と変わらんのだけどあれだわ、Sekiroやっとクリアしたんだよね。真エンディングのラスボスが強すぎて放置してたんだけどなんかやっぱり気になるんだよね。だからたまにやってはまた死んでもういいやーっつって終わるみたいなのが続いてたんだけどあれなんだよね、まぁ攻め力のごり押ししかないだろうと思ってスキルポイントラソンをしてあとまぁ鱗集めて仮面作って攻め力を3とか4ぐらい上げたんかな。無心になる修行だ!とか思ってマラソンやってたけどまぁ攻撃力というより体幹へのダメージがやっぱり凄い上がる気がしたよね。

 

そのおかげで一心の第二形態まで行くのが楽になったというか第一形態はルーティンっつーかほぼランダムにならないハメでもないんだけどパターンがあってまぁそれミスらなければ相当回復残したまま第二形態行けるわけなんだけどまぁ第二形態えげつないですよね。エグいリーチに攻撃力っていうSteamで見ても竜の帰還エンドっつーんだっけ?13パーセントぐらいだもんね。まぁただあれなんだよね。ダクソ癖が出ちゃって基本回避って感じになるんだけど中盤の弦一郎で気がついたのはむしろ見切りがすげーチャンスっつーかほとんど攻めてもどうにもならない場合、まぁこのゲームの基本だけど体幹削るしかないんだよね。

 

まぁ中盤の弦一郎で詰まってたのはだいぶ前なんだけどまぁただそっからラストまでは割とスラスラいったんだよね。猿とかもエゲつなかったけどラストはもうなんか次元が違うっていうか(笑)ただまぁよくクリアした人が言うように何百回も死んで覚えると勝てなくはないんだよね。ただまぁ何百回死ぬっつー気力が無いというかさ、だからもうなんつーのかな、気が萎えるまでクリアしようとしないでムーヴを覚えるためにちょっとやって嫌になったらやめてってのを繰り返してるとまぁ当然パターンだからそれでもまぁシビアだけどなんとかなるよね。でもまぁ普通のゲームのなんとかなるってレベルじゃないからまぁそりゃ投げ出すよなっていう感じなんだけどね。

 

まぁあとあれなんだよね、最終形態は逆に雷返しだっけ?あれがあるからチャンスっつっちゃーチャンスなんだよね。んでもう何百回とやってるとそこまで緊張しなくなるから第二形態なんとかなると最後はむしろ雷返しのチャンスがあるバージョンでやりやすいんだよねっつってもこれも何回も死んだけどでもまぁ第三形態自体はトライは10回未満で何とかなったかな。まぁやっぱ見切りですよね。攻撃っつーかガードであとまぁ体幹を回復させないために攻撃っつーよりかは2発ぐらい相手に弾かせるっていう感じでまぁんでまた見切りのチャンスが来たら見切るっつーまぁそれですよね。

 

んでアプデで技が強くなったのあるのに助けられたのはあるかな。第一形態までは一文字切りだっけ?あの剣道の面のやつね。体幹回復するやつ。んで第二形態は強くなった浮船なんとかっつーやつで結構押せるよね。心なしか出が速くなったのか分からんけど普通に剣振るより速い気がしてチャンスがあるときはまぁそれかましつつって感じでまぁラストは雷返しをやりつつ何回か食らってるんだけどまぁ相手が感電中に浮船をかましてどんどん削っていって・・・っつー感じでやっとなんとかなったんだけどまぁ「うわー・・・やっと終わったよ」っつー感じだったね。スタッフロールとか放心状態で最後まで見ちゃったもんね(笑)

 

ただまぁ書き忘れたけど一心ずーっとやってると他のまだ倒してない数珠が手に入るボスとかそこまで強く感じなくなるんだよね。だからまぁ攻め力も上げつつその合間にまだとってない数珠あったら取りに行くって感じで中ボスみたいなのを狩ってHP増やすとまぁHPっつーより体幹の上限が上がるっつーのがいいよね。まぁそれもあって勝てたんだろうけどね。でもまぁ元の詰まってた時点の攻め力と最大HPで勝てたか?っつーと勝てなかったと思うからやっぱりまぁ攻め力あげて可能な限り数珠は手に入れるっつーのをやったから勝てたってのはあるよね。まぁ怨嗟もやろうとしたんだけどこれはこれでまた取り組まなきゃいけないからスルーで一心ずーっとやっててまぁそれで勝てたっつー感じだよね。

 

勝てなくて放置ってあんまりないけどブラボのロマだよね。あれのおかげで一年ぐらい放置してんでブラボクリアしてねーなっつって始めからやるかって感じになったのはいいけどディスクが無い!っつーんでディスクを探す日々が続いてまぁんでどこにあったか?っていうとアウトレイジ2のDVDケースの中に入ってたというね(笑)悪い癖なんだけど別のに入れちゃうんだよね。とりあえず仕舞おうっつー時点でブラボのケースが見つからないから手許にあるケースに入れちゃうっていうね。まぁそれで行方不明のゲーム結構あるからまぁちょっと高くてもダウンロードバージョンのほうがいいよね。買うなら。

 

まぁそんな感じで平成の終わりにSekiroクリアできてまぁなんだかよかったなっつー感じですね。まぁでも本当にキリスト教との出会いは自分の中で大きいなっていう感じだよね。いや、いきなりゲームの話からリアルの話になるけどね。なんつーかそのハマれる何かってのは必要なんだけどハマれてなおかつ生きる理由になるっていうか最近よく書いてることだけど実存と向かい合うとか世界と向かい合うっていうattitudeが軸になってるものだよね。浮世離れしたものじゃなくてそういう意味では生きるための生存術でもあったりしてそういう意味だと実学だよね。仮に一般的なサバイブ術っつーか例えばテントを張るとか野生の生き物を狩って食べるだとかっつーような技術も一応実学って定義されるなら自分にとっての神学は実学ですわな。

 

まぁ客観的な虚実ってのは無いよねそういう意味で。本人にとってそれがどういうものなのか?というのでそれが虚なのか実なのかが変わってくるよね。ただまぁこれまた最近よく書くことだけどキリスト教自体が歴史が長いのとあとまぁ音楽もキリスト教関係の曲とかそれがオペラになってたりっつーのが普通にあるもんね。だから古楽からバロックからまぁ別に好きではないんだけどモチーフになってるっつーんで一応聞いたりすると面白いよね。

 

あとまぁまだSatanicだった時期のSMKでもまぁ散々Partとかは使いまくってたからまぁ基本俺って二つの相反するものを合わせるってのが好きだからSMK再始動の時に集めてた音源とかがかなりキリスト教関係のとかが多いのとあとまぁ声楽は結構好きなんだよね。キリスト関係なくあんま煩くないアンビエントっぽいやつね。フェルドマンのFor Stefan Wolpeなんかは別にまぁこれはキリストじゃないけど自分的にアンビエントのトップだよね。所謂正規のアンビエントを含めてもこれがトップに来るぐらい。

 

あとまぁあれだな、まぁこれもアセンブラージュのやつとかで散々使ったんだけどリゲティとかペンデレツキとかの宗教音楽もいいよね。いいっつーかまぁいきなりうるさくなるのがあんまり好きじゃないんだけどまぁ部分的に良いなって思えるものとかはあるよね。なんかまぁ一時期それでクラシック関係のボックスセットをすげー買ってた時期があってその時にドビュッシーとラベルとフォーレとあとまぁあれだな、カラヤンボックスとか指揮者ボックスみたいなのも節操なく買ってた時期があったんだよな。手元にCD無いんだけど宗教曲ってのを意識して聴くのは面白いよね。まぁ今はストリーミングで聴けちゃうから楽だよね。

 

あとまぁ最近だとメシアンピアノ曲が結構良くて聴いてるんだよね。メシアンボックスは安いし買ってもいいかなって思うんだけど大体まぁ聴かなくなるっつーか(笑)ドビュッシーとかにしても特定のやつばっか聴いてボックスの他のやつはほとんど聞かないみたいなそんなのが多いんだけどまた最近本の出費がエゲつないっていうかこないだ書いたっけ?まぁ当然そりゃやるんだけどさ、中世スコラ学とかあの辺のやつを揃えてるんだよね。読んでないのばっかだけどあとまぁパスカルのパンセとかもようはまぁキリスト教目線で読むっつーかまぁそれで言うと既存のものとかもそういう観点から見ると見方変わるからね。

 

あとまぁ映画ですよね。眠くなるようなのが多いんだけど(笑)クラシカルなキリスト教関係の映画とかは見てるね。あとまぁこれまた前にも書いたけどキリスト教圏だとメタファーみたいなのが当然これは分かるよね?みたいな感じでキリスト教っぽいメタファーとかが使われるのとかがあるじゃん?でもまぁそんなの日本人の俺にはわかんねーよとかって思ってたんだけどまぁ今は違うからまぁそういうのがメインファクターじゃないにしても間接的にせよ絡んでると面白かったりするよね。

 

まぁあれですわ、奥さんが妊娠したら一気に妊婦さんが目に入るようになるみたいな意味でまぁキリスト教っつー特に気にしてないものを気にするどころかメインになるとまぁなんかそれ中心になるよね。もう最近はすっかりそんな感じで定着してるよね。あ、なんかそろそろいいかな。書き過ぎて最近のことすらも書くこと無くなったら令和スペシャルできなくなるからな。

 

あ、でもあれなんですよね、キリスト教で言うとまぁ当然基礎的なことはやりつつ最近はギリシャ正教とかアトス山とかあと静寂主義なんて言われるような一派のキリスト教哲学に興味が出てきてまぁやっぱ基本的に関心があるのはエックハルト的な突破者っつーコンセプトなんだけど学術というよりかは俗っぽい言い方をすると精神世界っつーのかね、まぁ神秘主義とも言うかもしれないんだけどありがたいことにエックハルト的な概念の神と禅における悟りとか無という概念が凄く似ているっつーところがまぁなんつーか仏教的なアドバンテージだよなとも思っててしかも日本語の本で質が高いのが多いんだよね。

 

いつも言うけど京都学派って西田をはじめとしてめっちゃ頭が良い人たちなんだけどまぁエックハルトと禅っつーとやっぱり上田閑照とか西谷啓治とかの本が元の言語で翻訳介さないで読めるっていうのはすげーことだなっていうまぁあとあれだよね、これが文化的なものに関連するかはともかくとしてまぁなんつーか禅的なものって西洋の人たちにすると驚きの概念なんだよねっつってもまぁそれも昔の話だとは思うんだけどね。

 

ってところで唐突に切るけど5000文字前後が目安かしらね。ってことでなんか新しいトピックを書くことも無いんで今続いてるのを10連休明けまで続ける感じですかね。

 

ってことでではまた第二弾で。

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