ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/修道士による日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

令和スペシャルその8。音源中出し編。

いや、昨日は意外と書いた気がするけど今日はガチでネタがないっていうか相変わらずサルベージしてるんだけど懐かしいのが出てくるんだよね。あとまぁなんか古いフォルダにVisaとかパスポートの写真とか学生証の写真とかが出てきて(笑)あとなんかあれなんだよね、ポリティカルサイエンスのクラスの最終テストの結果のテキストファイルとかなんでこんなのがあるんだろう?って思うようなのが結構あってまぁなんかあれですよね、押し入れに色々仕舞っておいてのを整理しようと思って出したら懐かしい写真やら当時のテープとかが出てきたとかまぁそういうののデジタル世代バージョンっていう感じですよね。

 

んでまぁ音源なんだけど見つかったやつをアップしたんでまぁそれの解説で今日は終わりっていうかいや、かなり真面目に音作ってるのよね。今。それと読書並行でなかなかクリエイティヴで充実した日々を送っているわけなんだが10連休も佳境ですなっていうか佳境ってよく言うけどどういう意味なんだろう?と思って言葉の意味をググるってありがちだよね。みんな言うとかいよいよ佳境に入りました!とかっていうけど佳境の意味自体どういう意味なのよ?とかさ、なんかそういうのを考えると語源が仏教だったり儒教だったりとかするっていうかまぁ言語自体の威力だよね。

 

ハイデガーが言葉が世界を形成するって言ってたようなまぁユクスキュルの環世界そのものなんだけどまぁ例のヘブライ語からの翻訳の旧約聖書まだ全然読んでないんだけど最初のイントロダクションとかでまぁそういうことが書いてあるんだよね。まぁそもそも元がギリシャ語とかヘブライ語みたいなものを英語に翻訳しようとする時点で無理があるっていうかダイナミックな飛躍が必要だったりとか例えばまぁヘブライ語では種っていう言葉にそれを例えば英語のSeedにするとまぁそのまままぁ種ってことなんだけど元のヘブライ語で言うと精子的な意味での根源的な種っていうかさ、オナンの話ですよね。地面に射精してどうのって話なんだけど元のヘブライ語で言うところの種という言葉に柿の種とか梅の種とかっていうような意味と同時に精子的な植物じゃなくて生物的な種っていう概念が多義的に含まれてるんだけどまぁそれって概念だからその言語圏なりで生活するとかまぁそもそも育たないと分からないよね。

 

まぁ言葉のニュアンスっていうか例えばサルベージしててすんげー昔のズリネタとか出てくるんだけどサラリーマンお疲れ様!っていう企画があって3人のAV女優がサラリーマンを逆ナンしてバスで乱交するっていう海外のエロ動画サイトで昔から人気のやつがあるんだけどなんつーAVなんだ?って調べてるんだけど一向に分からないんだよね。近いのは見つけたんだけどそれそのものが出てこなくてね。

 

っていうかまぁすげークラシカルなズリネタなんだけど削除されずに載ってるままだからアクセス数が凄いんだよね。で、俺は埋め込まれてる動画とかをダウンロードするせこいツールとかを使ってローファイな画質のAVの断片みたいなので抜いてたんだけどそういうのがすげー出てきてまぁ昔のズリネタと対面するとある意味当時自分が書いていたこととか作ってた音とかよりもある意味生々しく自分と対峙するような感じで面白いんだよね。

 

あ、んでまぁそのバスの乱交のAVで「ねぇーここに種があるわけじゃない?だからー私と子供とか作っちゃう?」みたいなセリフがあるんだけど金玉触りながら種とかっていうと相当いやらしい意味になるよね。日本語の場合。薄い本とかだと赤ちゃん汁とか赤ちゃんの種とかって言ったりするけどそういう言語の感覚っていうか明文化されてないんだけどニュアンスとしてあるっていうようなまぁ厳密に学術的には定義されてるんだけどそんな厳密な定義を気にすることなくただまぁ共通の感覚として共有していると思われる意味ってのがまぁ言語じゃないですか?

 

まぁだから翻訳すると全然意味が変わったり例えばそれこそ薄い本とかの英語バージョンとかしかない場合、それで抜いたりすることがあって後日日本語バージョンとかも見つけて比較してみると頑張ってるけどニュアンスが変わっちゃってるなっていうか絵で抜くっていうより薄い本とかの場合、相当エロい語感っていうところで抜いてる部分があるんだよね。「私の赤ちゃんのお部屋におじちゃんの赤ちゃん汁いっぱい出してください!」とかなかなかこりゃ英語に翻訳できないっていうか逆に英語で言うところのそういう語感とか子宮を赤ちゃん部屋と言うようなエロさと赤ちゃん汁みたいな言い方とかってのを翻訳するのは至難の業でしょう。

 

まぁ映画の字幕とかでも全然ニュアンスが翻訳できてなくて劣化するとかっていうのがよくあるっていうか町山さんなんかが戸田奈津子の翻訳とかボロカス言ってたりするけどまぁ別に町山さんだけじゃなくてまぁ昔から批判はあるよねっていうかまぁそういうのが聖書に限らず色んなものにあるわけじゃんね?

 

ただなんつーのかな、大雑把にアルファベット圏のまぁヨーロピアン言語ってある程度の共通感覚をシェアしてる感じがあるよね。なんか相性がいいって言うかドイツ語とフランス語とイタリア語って全く違うもんじゃないよね。あとまぁそれ言い出すとスペイン語もそうなんだけどただそこでロシア語とか古代ギリシャ語とかになるとさっぱり分からないじゃん?逆にまぁそういうの勉強すれば似てるところと全く違うところっていうのが発見できたりするんだろうけど逆にそこでさっきの私の赤ちゃん部屋におじちゃんの赤ちゃん汁いっぱい出してください!みたいなのが実はヘブライ語とか古代ギリシャ語とかのほうが翻訳しやすかったりとかするかもしれないんだよね。

 

何かと言うとスタンダートはやっぱりまぁシンプルな英語ってことになるんだけど特にまぁ日本語って相当異様だよね。ニュアンスの部分とかがすんげー強くてまぁ察する文化みたいなのも相まってというかその察する感じとかっていうようなこととか作法みたいなのが言語にすでに内在化されていてその意味論の表出というのが個々の振る舞いとかあり方を規定しているんじゃないか?というぐらい言語というのは世界を形成するよね。

 

例えば英語のファック!にしてもファック野郎みたいなのってまぁ翻訳するとクソ野郎とかっていうことになるんだろうけどもうちょっとファック野郎のほうが意味合いが強いよね。マザーファッキン野郎とかになるともっと強いわけで母犯し野郎ってことなんだけど母を犯すというのがどんだけクソ野郎なのか?っていうのも実はそれはキリスト教というかカトリックが関係していてそれは遠回しに聖母マリア様を犯すみたいな冒涜だったりするわけでってまぁ勝手な推測だけど特にアメリカみたいなカトリックだらけの国が意味するところの母っていうところの意味合いっていうのは聖母マリアを抜きにしては語れない的なね。

 

それで言うとそもそもカトリック自体が相当ドミナントなわけでそういうカトリック的な宗教の概念に内在している論理とか意味論というのが直接的なつながりはないにせよカトリックドミナントということでそれがもう不可避的に意味論に繋がってしまうっていうそこは別にカトリックじゃなくても例えば日本語でも仏教徒じゃなくても語源が仏教とか概念自体が仏教みたいなことでまぁそういう仏みたいなのを侮辱するってのは相当なファック野郎だなっていうただのクソ野郎を超すファック野郎というのは人間とかが共通して持っているある程度このラインは超えちゃいけないよねっていうか例えば喧嘩にしても殴り合っても頸椎とか後頭部は狙わないだろうっていうような暗黙の了解だよね。

 

喧嘩しているんだけどそれやったら相手が全身まひとかになっちゃうかもしれない!っていう懸念があるわけだよね。そういうヤバいラインとそうじゃないラインってのを一線を越えた時点でもまだ境界線はあるんだけどマザーファッキン野郎とかになるとまぁそういうルールを超して何も考えずに襲ってくるっていうか喧嘩の作法すらもないようなただの狂犬みたいなね、ただまぁその一方でマザーファッキングッド!とかマザーファッキンビッグ!っていうような超デカいを超すようなあれなんだよね、アートのクラスで先生がフランス革命の絵って作者の名前忘れたけどこれはデカいなんてもんじゃなくてマザー・・・って言いかけてまぁ学校だから言っちゃいけないな(笑)みたいなんでも分かるでしょ?的なまぁマザーファッキンビッグなわけよね。それはヒュージみたいな概念を超す大きさを表すわけでしょ。

 

でもそこにマリア様を犯すほどの大きさという意味での冒涜はないよね。ただとにかくファッキンビッグなんだっていうまぁなんで特にアメリカではよくファックって言うかっていうと便利だからなんだよね。ただまぁShitとFuckの間には相当な差があるんだよね。あーしまった!ぐらいのニュアンスはShitと言わないでシュートとかって言ったりとかまぁくそっ!って別に人糞的なニュアンスないじゃん?くっそー!ってまぁ糞なんだけどちくしょう!っていうようなまぁ畜生って漢字にするとまぁまさに仏教ですよね。でもまぁコウメ太夫とかのちくしょー!に畜生というほどの意味合いは無いのと同じなんだけどそこでまぁファックぐらいになると畜生!っていう度合いが笑えなくなるっていうかね、そんなにファックアップしてんのか?っていう大ごとになるんだよね。

 

なんかあれ書いてて思ったんだけど頻繁に更新してた時とかってまぁこんな感じで書くことないんだけどとりあえず更新せねば!っていう感じがあって書きだしたらまた今みたいに結構書いてるな!っていうのが続いてたっていうのがまぁここ数年それすらもネタが無くなってきて書くことねーなっていうのが口癖になってるっつってもまぁ書き始めると止まらなくなるんだけどね。

 

いや、なんか音源紹介っつーか出てきた古い音源の解説しようと思ったんだけどそろそろ5000文字いきそうっていうかそもそも長く書くつもりじゃないからブラウザにそのまま書いてたんだけどいつの間にか長くなっているっていうまぁ昔の場合それでバックアップ機能がないから間違って戻るボタンとか押しちゃうと全部消えちゃうみたいなことがありましたよね。

 

まぁいいや。んであーそのファックの話か。まぁあれですよね、だから哲学に関して言うとやっぱり近代なんですよね。ニーチェとかショーペンハウエルとかヘーゲルの時代でもまぁ全然近代だもんね。でも聖書となると相当昔で近代的な言葉の感覚だったのか?っていうのがまぁだいぶ違うわけだし古代語のニュアンスなんて考えだしたらキリがないんだけどただまぁ哲学においてはギリシャ語って基礎っつーかさ、プシュケーだのなんだのってまぁその言葉は何々を意味していて・・・みたいなのが基礎教養レベルで必要とされるんだけど言及されることが多いからギリシャ語やろう!と思わなくても哲学関係で出てくるギリシャ語依存の哲学的概念に関しては読んでると普通にそれが所与のものっていうかまぁそりゃそうだろぐらいのコモンセンスになるんだよね。

 

ただまぁヘブライ語とか古代ギリシャ語の場合どうなんだ?ってまぁそっか、まぁあれですわな、まぁソクラテスとかの時代も古代ギリシャ語か。いや、だからやっぱりまぁあるわけでしょあれが、その70人訳がどうのとかさ、前にも書いたけどヘブライ的世界観とギリシャ的世界観っていうね、まぁ旧約に関しては元がヘブライ語でなおかつヘブライ的世界観のことを記述しているからダブルでヘブライなんだけどそれを英語にしたり日本語にしたりするときの大幅な劣化ってのは目に見えてるよね。

 

なんかまぁすんげー素っ頓狂っていうと言い方古いけど戸田奈津子の翻訳ぐらい酷いことに全部じゃないにせよ部分的にそうなると世界観ぶっ壊れるもんね。普段かっこいいセリフを吐くし映画全編でまぁそのクールさってのは維持できてるんだけどある場所の誤訳というか下手くそな翻訳ですんげーうすら寒いようなことを言うやつなんだっていうニュアンスを仮に一か所にしてもそれがリーサルなレベルで全体像への影響を及ぼす場合もあるよね。

 

それこそまぁかっこいいのになんでさっきあんなおやじギャグみたいなことを言ったんだ?っていうまぁそれは英語だと言葉遊びになってるんだけど英語依存で日本語に翻訳できないから例えばそれは行かなかったっていうのとイカなかったみたいな行くと魚介類のイカをかけてるって言われても逆にザーメンの匂いのイカ臭さと行くとオーガズム的なイクという意味でのイカをかけてるとかけてるっていう言葉にしてもぶっかけっていうような概念が介在して厭らしさのオンパレードになるわけなんだけどまぁ英語でイカ臭いってなんていうの?っていうかまぁそもそも最初の時点でもうこの場面における言葉遊びっていうのが無くなるじゃないですか?遊びということの時点でもザーメン遊びみたいなジャンルとかがあるわけでまぁそれはカムスワップとかってまぁ洋物でも定番なんだけどイカの汁を口で交換!みたいなところでのイカっていう感覚がもう英語に翻訳しようがないよね。

 

あ、んで最初何だったっけ?行くとイカか。まぁあれですよね、ウィットに富んでたり逆に凄まじく下品なことを急にハイコンテキストな文学とかを語ってる中でいきなり言うんだけどでもそれは教養に裏付けされた洗練された下品さなんだみたいな感覚もまぁ無理でしょ。翻訳すると。

 

まぁただそうなってくると前から思っててっていうかもう10年レベルで思ってて相変わらずこうなんだなってところに落としどころがいかないのが理解するってのはどういうことなんだ?っていうことだよね。んでなんか数学やってたときに思いついたのがまぁ相似じゃないけどさ、相似っつーか近似か。なんかまぁその例の理解するということの概念の周りにさらにまた当然概念ってのがあってそれに囲まれてるんだけど123っつー順番の中で2だけが隠されてて1?3ってなってたら?はなんでしょう?っていうとまぁ大体2ですよね。答えは。まぁそんぐらいの曖昧なもんなんだけどただまぁ大体まぁ普通これ言われたら2って答えちゃうよねっていうようなところでの共通感覚とか自分が思うというよりも自分が思うということもあるんだけどそれと同時に環世界的な普通そう思うでしょ?っていうようなまぁなんか説得するときとか怒るときとか普通そう思わない?っていう言葉をよく使うけどなんか常に言語的なメキシカンスダンドオフっていうかさ、これといった落としどころがないんだけどとりあえずそうだろうと思って了解しているっていうような暗黙知なんだよね。

 

ポランニーがどんな感じで暗黙知って言ってたっけ?ってだいぶ前に読んだからまぁちょっと調べれば思い出すとは思うんだけどほとんどまぁ暗黙知だよね。それなしには成立しないよね。逆になんでも定義したがってこれはこうでこうですみたいななんかアスペルガー臭い理系みたいな論理的には正しいんだけど人間の言語世界ではそんなガチガチの数学みたいな厳密な定義をしてるわけじゃねーんだよっていうことを言うとでも言葉が定義できなければそれは概念として通用しないでしょってまぁ言葉で書くとそれなりに説得力があってもパロールっつー話し言葉になると一気に適応障害っていうかアスペルガー臭くなるよね(笑)

 

そのエクリチュールパロールの差とかさ、結局まぁそこで聖書学なんかでもそういうのってすんげー重要になるんだよねって改めて言葉の感覚の重要性っていうのを研ぎ澄まされる感じがするんだよね。イエスパロール的に言っていることと使徒が宣教としてエクリチュール的に書いているところとただ別にパロール的でもそれは使徒が思い描くイエスとか宣教という意味合いが強いイエスの口を使ったパロールに見せかけた使徒エクリチュールだったりとかただまぁそこで実際どうなのよ?ってのを言い出すとぶっちゃけ推測しかできないよね。

 

それこそタイムスリップしてどういうつもりで書いたのよ?って本人に聞くしかないだろうっていうようなね、ただまぁそういうわけにもいかないから結局まぁ解釈学的にならざるを得ないっていうかさ、ただまぁそこでなんつーかイデオロギー的な言説と哲学的だったり人間学的であったりするような言説ってまぁ混在してるわけじゃん?マルクスなんかが典型的だけど的を得た感じの人間に対する分析とか社会に対する分析だったりする部分がありつつも革命を目指したパフォーマティヴなちょっとまぁ飛躍し過ぎとか言い過ぎじゃない?とか無理ない?みたいなところのイデオロギー的なところっていうか後にそれがイデオロギー的に再利用されるという潜在性も含めたイデオロギー臭さってあるわけだよね。

 

ただまぁどこがイデオロギー的でどこが哲学的であったりまぁ党派性みたいな政治性を抜きにした真理を語ろうとしているところなのか、まぁぶっちゃけ書いてる本人もそこまで細かく分節化して考えてないだろうっていうところに行きつくよね。まぁそんなもん使徒も同じだろうと。

 

ただまぁそこであれですよね、近年っつーかまぁ2000年前後とかってのはまぁそのイデオロギー臭さを排除した考え方とか党派性ではなくてあくまで真理に根差して考えようぜ!っていうような政治的な言説すらも党派性を抜きにして論理的な妥当性とかそれこそ真理っていうところに根差したところに立脚しなきゃダメだっていうようなまぁイデオロギー的なものの支配ってのがずーっとあってまぁそういうのが悪い意味で利用されてきたからイデオロギーフリーにならなきゃいけないっていうのがまぁなんつーかクリーンな感じっていうのかね?

 

ただまぁ結局概念が暴走するわけだよね。んでそれは今は哲学とかリベラルか保守かみたいな古い軸じゃなくて宗教のイデオロギー的な部分のダメな部分とか人間が上手く概念を扱えてないとかもちろん乱用するような過激派のイデオローグとかも含めて基本的にイデオロギッシュなものってのは思考停止を与えるだけなのと基本的に党派性っていう真理というよりかは目的に根差したものなわけでそこをさらにスライドさせてこれは神が言っていることなんだ!とかって言い出したらまぁそりゃ戦争も起こりますわなっていうことだよね。

 

ただまぁイスラムの過激派だけが悪いのか?っつーとそんなこともなくてまぁそりゃ基本大体の先進国だったらキリスト教イスラム教か?みたいなふざけた二項対立みたいなので考えた場合まぁ大体キリスト教寄りになるわけだよね。まぁノンポリで宗教とか信じてなくてもどっちか?って言われたらイスラム過激派は選ばないだろうっていうね、ただまぁ過激派の擁護をするわけじゃないんだけどいや、過激派とは関係ないんだけどサイードとかのイスラム報道みたいな本とかあるじゃん?常に歪曲されるっていうような立場にある場合、もうこりゃ突撃しかないよなっていうぐらいあいつらは結局リバイアサンっつー偶像を崇拝してるやつらなんだ!って考え方の道理が通ってしまうっていうようなことだったりするよね。

 

完全なキチガイではなくて理詰めで行けば結構道理が通ってるんだけど手法が当然到底肯定できるものではないんだけど動機は分からなくもないっていうようなね、ただまぁそこで世俗化したキリスト教っていうか特にアメリカのテレビ伝道師とかがイスラムは悪の宗教です!なんてマジでアジってるのを見てるとアメリカ的なキリスト教ってぶっちゃけカルトだよね。ああいうネイティヴアメリカンを殺して勝手に色々開拓したような野蛮な国から文化的なヘリテージとか概念っていうのが無い中でアホみたいなやつらが形骸化した宗教を信じるっていうようなのはぶっちゃけカルトと変わらないよね。

 

カトリックもまぁそういう意味で昔からイデオロギー的でまぁそりゃ改革したくもなりますわなっていうぐらい腐敗してたりってのが今に始まったことじゃないんだけどただまぁ信者が多すぎてお手上げっていうね、ただまぁ別に大体の人は別に悪い人たちじゃないだろうっていうのがあるから人畜無害ではあるんだけどただまぁ宗教的な厳密性から言えばイエスからの逸脱というかイエスを中心に考えたときに明らかにそれって矛盾するでしょうっていうような概念とかハビトゥスみたいなあとまぁエートスとでも言えばいいのかな。ただそれも歴史があるエートスなんだよね。ただまぁ原理からは逸脱しているっていうね。

 

ただまぁ世俗化ということはもうそういうことでしかないという意味で別に仏教も変わらんだろうっていうことなんだけどまぁ仏教のほうが押し付けないから逆にマジでやろうとする人のリテラシーレベルが高いから冠婚葬祭をやる商売としての仏教じゃなくて思想としての仏教を学びやすいというかまぁそこでキリスト教みたいに何かと伝道だっつって押し付けるようなのだとまぁバカにでも分かるような言葉とか概念で説明するわけじゃん?その時点で上目目線で相手をナメてるしリスペクトしてないからもうその時点でアウトだろって思うんだけどただまぁ宣教師とかってそうやってやってきたわけでしょ?もうそういう歴史を覆すのは難しいよね。

 

ただまぁ本当にガチでイエスを原理とするなら逆にまぁ原理があるおかげで誤りというのが明らかになるよね。俺はこう思うということではなくて原理的にそれこそ数学の定理じゃないけどそれはもう定義的に間違っているっていうことが言えるわけだよね。ただまぁ教理的とかそれこそドグマ的ということを言うと世俗化した宗教とか教会みたいな一応キリストの体としての教会っていう理屈はありつつもただの既得権の塊みたいなまぁ政党とかと一緒だよね。攻殻機動隊の荒巻が首相に言う腐敗はどういうときに起こると思いますかな?っていうようなことだよね。

 

かといってもまぁ別にそのバチカンなりカトリックを転覆せよ!とはならないんだよね。まぁむしろ本当にキリスト的であるなら押し付けの宣教とかそれこそエホバみたいに家にまで凸しちゃうとか(笑)そんなことをしないでそれこそアトス山の修道士みたいに祈りの生活になっていくと思うんだよね。あとまぁエジプトのコプト教とかだよね。まぁ理想化したりロマン化しちゃいけないしまぁ恐らく相当な数の修道士は実は根底にあるのはニヒリズムででも神を信じるっつーモードを選べるから生きる道としてすべてを捨てて神の道に進むっていうような完全に実は神を信じているわけじゃなくて信じないともはや生きる術はないぐらいに実存的というか精神的な窮地に追い込まれているというような人もいるわけだよね。

 

まぁただ理由はどうあれ導かれてそれこそイエスが生活の大半を何をしてたか?っていうと説教とかもしてたかもしれないけど大半の時間を祈って過ごしたわけでしょ。次はあっちだ!みたいな宣教をしてないわけだよね。まぁそういうところがユダヤ教的にマジでメシアなら武力とかを持って戦争を仕掛けてでもガンガン世界を救うために神の国を作ってそこから世界を支配するってことになるでしょうっていう意味でイエスはロバに乗ってやってきて戦争どころか一切のアグレッシヴさも見せなかったっつってもまぁ聖なる場所で金勘定とかしてんじゃねーよ!っていうそういうところに関してキレる感じっていうことの重要さは強調しても強調しきれないぐらい大事なところだよね。まぁ俺がジーザスの惚れたっつーのもそこはデカいんだよね。それこそ現代的に見るところのなんでも金っていうような重要なところすっ飛ばしてなんでも金で考えやがる薄っぺらい連中がいてまぁそれはそれでいいんだけど祈る場所みたいな聖域で金勘定とか金の回収してんじゃねーよ!っていうようなね、そういう男気ですよね。

 

だからまぁリアルメンですよね。ジーザスは。だからそこって神がどうのというよりジーザスが神を受肉した存在でなおかつ実際は旧約聖書が言うところの予言を満たしてない部分とか矛盾があるんだけどまぁそこを自分は律法を壊すために来たのではなくて完成させるために来たのだ!っていうようなまぁ改革者的な部分とかまぁ止揚するっていうような概念だよね。まぁ古代ギリシャとか古代哲学とかそれは東洋とかでもそうなんだけどまぁ古代なのにすげーアドバンスな考えしてたんだな!って関心することってありじゃないですか?まぁそういう意味でジーザスってまぁオーパーツ的なところがあって色々と思想の先取りをしてるんだけど先駆者的過ぎてディスられまくって処刑されたっていうね、まぁでもその道を切り開いた突破者なわけでこれほどラディカルな革命家がいただろうか?っていうぐらいの革命家なんだよね。

 

だから別に神とか聖霊を信じなくても唯物論的にでも革命家としてのイエスというのは当然評価せざるを得ないんだよね。それはまぁ俺がナイーヴだった頃に当時流行ってたとかとは関係ないガチなところでゲバラが大好きでゲバラTシャツとか着てたんだけどなんかまぁそのゲバラというイコンが今は時を経てジーザスになっただけで根本は変わってないんだよね。ただよりラディカルになっているっていう。

 

だからまぁ尾ひれがついたような聖性とかさ、オカルト的な奇跡とかまぁ俺は好きだからそこはカトリック的でもそういうのはいいよねって肯定するけどまぁジーザスが凄いところはそういうオカルト的とか神秘的なところを否定しても唯物論的にでも革命家としての思想家としてのイエスというのは依然としてプレゼンスが強いということになるんだよね。んでまぁ言わばその革命のリーダーの思想を受け継いだのがパウロとかルカとかマタイっつーような使徒だったっつーまぁ基本的に近代思想の革命家の思想が若者に影響を与えてまぁミメーシスしていってミームとしてそれが生き続けるっていうような攻殻機動隊で言うところの久世ですよね。その根源的な原型っつーのかな。それは文化によって見た目とか様式は変わるんだけどスピリットは変わらないんだよね。

 

なんか熱く語ってたら一万字越したから今日はこの辺でいいや。まぁ改めて書いてて思ったんだけどまぁいきなり変わったっつーより今書いたようにゲバラTシャツとかを着てた左翼青年だった自分っつー原型は変わってないんだよね。それが色んな思想とかまぁようは教養ですよね。色んなインプットと経験によって洗練されていった結果、導かれたのがイエスということなんだよね。凄くまぁ理にかなってますわ。急に宗教とか言い出したっつーより原型があってそこからの地続きなんだよね。

 

だからまぁ神がいようがいまいが関係ないんだよね。ジーザスという示しがあるからいいっつーのは神とも関係してるんだろうけど別に神がどうとかあーだとかっていうことを重要視しない仏教と似てるんだよね。なんの本だったか忘れたんだけど仏教徒にイエスの話をしたらその仏教徒はイエスブッダと同じ覚者だったんですね!って感動していたっつーところで彼らをキリスト教に改新させる必要があるのか?っていうともうそこのイエスは覚者だったのですね!というその認識とそこで起こったそういった会話とかやり取りだけでもういいじゃないですかっていうところなんだっつーそこが本質なんだっていうところなんだよね。まぁホント、その通りなんだよね。そこは恐らくイスラム教でも同じはずなんだよね。

 

まぁそんな感じで何気に朝になりそうだからそろそろ寝るわ。んじゃまた。

にほんブログ村 本ブログ 読書備忘録へ
にほんブログ村 音楽ブログ 音楽のある暮らしへ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へ