ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/修道士による日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

新作告知と雑談。

新作よろしくね。喧しいのは無いので。

 

https://soundcloud.com/mimisemi/kyrie-1

 

https://soundcloud.com/mimisemi/virtual-church-music-2-gloria

 

https://soundcloud.com/mimisemi/sacra-mental-church-music-3-credo

 

相変わらず曲作りつつ音ネタ探しで色んなニッチっつーか色々聴いてきたんだけどさらに聴いてなさそうなのを深く聴いたりしながらフィジカル買ったりストリーミングで聴いたりって感じで聴きつつ例の西洋音楽の歴史とかも読みながら読んでねーなっていうか言葉が古くて読みづらくてだいぶ前にまとめて買って読んでなかった西田幾多郎全集のまぁ全部じゃないんだけど重要そうなやつがいくつかあるんでそれを読んでたりまぁそのついでに色々とまた再読したい本なんかも家から持ってきて読みつつキリスト教関係の本が大量に読んでないやつあるからまぁそれも読みつつ・・・ってまぁそれのループで完結しててやべーなって感じですよね(笑)

 

このループに入ってれば精神の波はありつつも安定するよね。なんかスノッブ臭いけど教会音楽とか聴きながらキリスト教関係の本とか読んでるとなんかまぁなんだろうね、ストリートっぽいところを歩きながらヒップホップ聴いてると雰囲気出るのと同じような感じでただまぁ最近思うのはっていうかまぁ作ってるやつもそうなんだけど装飾でゴテゴテになるような近代音楽とかじゃない古楽とかグレゴリオとそれ以降のオルガヌムが入ったやつとかの純粋性ってライヒがペロタンをミニマルの元祖だって言ってたらしいんだけど確かにそうだなってのと何気にアンビエントの元祖だとも思うんだよね。

 

少ない音と声っつー原始的な言わば人口シンセみたいなものを教会の天然リバーヴで響かせるって純粋な音響音楽じゃん!って思っててまぁようはアンビエントっつってもいらないリズムが入ってたり無駄に音楽性入れてたりして邪魔な要素が多いのばっかなんだけどそういう意味での初期の教会音楽とかってまぁ純粋なアンビエントだよなって思ってるんだけどまぁリアルに好きだね。それは。

 

勉強のために聴いているみたいな学生みたいなセリフだけど(笑)一応クラシックとかも聴いてるのも流れを掴むのとまぁ文化的なものを死ぬ前に接種しまくったほうがいいだろうと思ってていつでも死ねるように文化的なものをパンパンに詰め込むっていうまぁそれが行きついたエピキュリアン的な究極的な快楽というかね、ただまぁクラシック聴きながら読書とかオペラ聴きながら・・・とか似合わねーな!って思うんだよね(笑)

 

基本なんか読むときに聴いてるのってMAWとかルイヴェガかケニードープとかが配信でDJやってるのとかってまぁ今すげーあるじゃん?で、まぁ基本近年のデジタル臭すぎる音が入ってこない安心して聴けるクラシカルなハウスとかはまぁ聴くというより水とか食料とかと同じレベルで当たり前のように聴いてるんだけどそれってまぁ俺の中で聴いてるってうちに入らないんだよね。だからまぁ聴いてると言えばそのあれだわ、教会音楽とか古楽とかクラシックだよね。あとまぁ現代音楽とかもエレクトロニクスが入らないやつって興味無かったんだけど逆にエレクトロニクスが入ってないやつってのをまぁ音楽史的な聴き方をするっていうんですかね。

 

あとまぁ俺が作ってる曲並に誰も聴かないだろうっていうような現代の作曲家が作った現代の宗教音楽とかまぁこれは今めっちゃ探してるんだけどまぁそういうの聴いてますね。あ、んでこないだ病院だったんだけどウォークマン買ったんですよ(笑)今の時代にウォークマン!っつーのもこれでこそフィジカルCDの出番!っていうかやっぱCD突っ込んで聴くってのが一番合ってるんだよね。

 

やっぱCD好きなんだけど扱いが雑になってて踏んづけて割ったりするのが多いんだけど(笑)まぁペルトとかもだいぶ買ったっつーかほとんど聞いたことあるやつばっかなんだけど外でペルトとか教会音楽聴くっつーのもなんかいいんだよね。薄汚い世の中からガードされてる感じがあるんだよね(笑)

 

あと電車とかでもやっぱハウスとかテクノとかドラムンベースだとある程度の音量が必要だけど声楽とかそこまで煩くないオーケストラとかだと小さい音で聴けるから音量の心配して例えば注意されて駅降りたら殴られるなんてこともなさそうで安心だね!っていうね、いや、もう暴力のコスト半端じゃないよね。

 

前に書いたっけ?あの例の暴走族の総長やってたやつがさ、お前さーガチの喧嘩したことないんだろうけどボコし過ぎたりなんかしたらその後刑事事件になるから裁判とか大変ですんげー惨めな気持ちになるんだよってまぁすんげー前の話ですよ。18歳ぐらいの時の話なんだけどまぁなんで俺が元総長と知り合いだったのか?っていうのは話せば長くなるんだけどまぁでもあれだよね、まぁそんな普通にしてればそんな状況にはならないですかね。

 

まぁいいや。その話はいいんだけどさ、あの作ってる曲あるじゃないですか?で、毎回困るのがアートワークと曲名なんだよね。別になんか天使が下りてきてどうの・・・みたいなイメージなんて無くてまぁ出来上がったものにそういうイメージがあったりするのもあるんだけど曲名とかも尽きてくるじゃん?あんだけ作ってるとね。

 

だからすげー便利な方法を見つけたんだけどそれがまぁSacra Mental Church Musicっつーシリーズなんだけど(笑)ミサ曲の曲の付け方っつーの?今ってるんだよね。キリエとグローリアとクレドと・・・って感じでだからまぁ出来上がったのがキリエっぽかったらキリエでいいしグローリアっぽかったらグローリアでいいしっていうまぁ楽なんですよね。特にミサ曲として作ってるわけじゃないんだけどまぁ耳蝉黒教会のミサ曲ってことでそういう曲名にしてるんですよね。

 

ただまぁ創作意欲が旺盛なのは良いことなんだけどまた同じくSMK始動のときと同じで一気にガーッ!って作ってあともうやること無くなる・・・みたいなね、まぁあんまそこは考えなくていいかなとかって思いつつまぁ出来たらもうアップしちゃえばいいんだよね。ってことでまぁあれだ、前後するけど冒頭にURL貼っておくから聴いておくれよ。

 

あとまぁサムスピ出ましたよね。エンジンかかるまで寝起きの体がダルい時とかはゲームやるのが一番なわけで久々にアケコン取り出してきてPS4に至っては最後に起動したのが12月とかになってるんだよね。もう半年ぐらい使ってなかったのかよ!っていうそれでもまぁPSのネットワークの料金払ってるんだよなーとか思いつつまぁサムスピいいっすね。やっぱ。コンボじゃついていけないけどなんつーかサムスピって初代から色々あるけど色んな要素の良いところを吸収しつつ初期の頃とかザンクロウって変換出ないんだけど(笑)怒り状態の強攻撃で4割ぐらい減るとかまぁこれぞサムスピ!っていう感じですよね。アケコン久々に使ったから慣れるのに時間かかりそうだけどスト5みたいなエグイコンボをデフォで知ってないと話にならんというゲームではないから高かったけど買って良かったんじゃないかと思いますよね。

 

あとまぁ9月だっけ?ボダランね。あと例の中世ゲームまだ全然やってないんだけど疫病のやつね。なんかまぁ生活の中でルーティンを決めるというわけではないんだけど今みたいに音楽のアウトプットもありつつネタ探しと歴史を知るって意味で色々聴くっていう教養的な部分とでもそればっかだと馴化で飽きるからゲーム挟んだり映画挟んだりしつつまた色々やるみたいなまぁそのパターンが出来てるといいですよね。何よりまぁ改めて思うのは色々と聞こうと思ってそれが相当マイナーじゃなかったら大体何らかの形で聴けるっていうところだよね。んでまぁめっちゃ気に入ったらそんなに高くなかったらフィジカル買うっていうような物欲も満たせるみたいなね。

 

まぁそんな感じなんだけどもう7月なわけですよね。もうなんか今からもうハロウィンになって年末ムードになって・・・っていう感じが見えますね(笑)日々地味なのはしょうがないんだけど音楽的アウトプットやらこんな良いのを見つけた!ってのとかあとまぁ精神的な成長ですよね。あとまぁ学術的にっつーか前に研究って書いたけど研究なんてレベルでなんかを研究するなんてその分野の基礎教養的な部分を最低でも5年ぐらいやらないと話にならないから前に研究とかって書いちゃったけど俺の段階は全然勉強ってことなんですよね。読んでる量尋常じゃないにしても所詮は初学者だからね。

 

あとまぁ色々と思うことがあって宗教学をやる上でっていうか当たり前だけどジーザスの徒ではあっても変なのが介在するような胡散臭い神秘主義とかオカルトと紙一重!みたいなのには本当に気をつけなあかんって感じだよね。結局まぁそれが仏教であれキリスト教であれ未だに霊感商法とかってあるわけだしまぁスピ系の話も嫌いじゃない俺としては本当に気をつけなきゃいけないなっつーのと実存を埋めてくれるような意味での宗教っつーのもダメだと思うわけでやっぱりそこは理知的じゃないといけないんだよね。

 

パネンベルクとかがキリスト教に行きついたってのも理知的であろうとした末にそうなったっていうだから回心とかが無かったわけなんだけどようはオカルトとの親和性が高いような分野であくまで基本唯物論的でいるっていうかある種冷めてないとZealotになっちゃうし評価が定まってる神学者とかの本を読む場合でもクリティカルに読まないとダメなわけでそういう意味でバルトとかをディスったりしてるジェームズバーみたいな旧約学者なんだけど宗教ズッポリではないっていうRigolousな態度と批判的精神ってのを持たなきゃダメだなっていう。

 

ジーザスの言葉はありがたい・・・みたいな思考停止が一番ダメでみしろそれは生活の中で見つけていくものだよね。そう言えば聖書にもそんな話があったっけな?っていうことがあったりして聖書の問題提起とか人間の在り方とかのアクチュアリティがあるというかね、まぁそれだけではないんだけどなんか祝福されたものが持っている強さとかそういうものではないある意味での唯物論的と言ってもいいぐらいの冷めた感じで世の中を見てでもそこで真の福音とかを探すのは大変なんだけど無いわけではないというところに希望を持つしかないよなってことろがありますよね。

 

っつーか薬がちょうど効いて眠いから寝るわー。

 

そいじゃまたな。

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