ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/修道士による日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

久しぶりに書いたら消えたんだけど復活して長文になったので。あと新曲ね。

ってことで新曲ね。

 

https://soundcloud.com/mimisemi/the-ascension-of-christ

 

久々にやってもうたって感じやね。まぁどうでもいいことだらけなんだけど最近のことを色々書いててんでまぁ相当書いたんですけどね、思ったより長く書いたんでなんだか珍しく疲れてアップは明日でいいやーとか思って音作りやら音ネタ探しやらっつーのに戻ったんだけどあれなんだよね、色々と調べてるとブラウザが8個ぐらい立ち上がっててんで20とか30ぐらいのページがここで開いてたりしてんでまぁそれが見ようと思ってた動画だったり途中の動画だったりアマゾンの商品ページだったり音楽ストリーミングのページだったりなんかしてんでまぁ全部途中なままだからそれ起動したまま寝るっつーかまぁパソコン放置するとスリープになるからそのままにしておいてんで起きたらまら作業続けるみたいな、あとまぁStudio Oneとかも起動してるから相当重いんだよね。

 

重いんだけどゲーミングPCだからなんとかなるのよね。重いとは思わないんだけど負荷はかかっててんでそれが一週間とか起動しっぱなしだと色々とまぁメモリだのなんだのってのに負荷がかかるじゃん?まぁ前置きはいいか。まぁそんな感じで書いてて保存してなかった明日貼ろうと思ってたやつがPCがフリーズしてんでフリーズしても完全に動かないって感じじゃないからやめればよいのに電源切っちゃったのよね。ただまぁStudio Oneとかって優秀だから自動バックアップされてたりして無事だったりするから
まぁ余計になんつーかまぁ切っちゃっていいかーっつーね、開いてるタブとかも復元できるしってことで電源切ったんだけどウォール伝書いたやつ忘れててんでもう後悔先に立たずですよ。

 

全部イッちゃいましたね。ただまぁ幸いなことにすんげー長く書いたけどどうでもいい話ばっかりだったってことかな(笑)なので悔しいんだけど書いたやつの要約をまた書くわ。まぁーあれだわ、ここ数日Steamでセールになってたオクトパストラベラーってのにめっちゃハマっててまぁこりゃおっさんキラーゲームだなっつーのは2DのドットでRPGやってた世代としてはもうたまらんゲームだろうっつーことでかくかくしかじか書いたんだけどようはまぁここ数日そればっかやっててプレイ時間が一瞬で40時間とかになってメインキャラのオフィーリアをクリアしてんでまぁ途中とかの金稼ぎとかの時に最近フィジカルで買ってる現代音楽とかを聞きながらやってたんだけどRPGの作業的なことの時に聴くっつーのはまぁすんげー聴くってことに特化するよなっていうか今って大体ながら聴きなわけでオーディオに向かって他何もしないで音楽だけ聴くみたいな行為ってあんまりないよねっていうまぁ情報化の時代だよねーっつー感じで久々にディープリスニング体験をここ最近買ったフィジカルのCDを聞きながらまぁ聴き込んでたっつー話ですね。

 

まぁ聴き込むって大事よね。あとまぁぶっちゃけアレっすよ、曲のサンプル探してもあるから聴き込まないとどうにもならないんだけど70分とかの協奏曲とかをじーっと聴いてるとかなかなかヘヴィーだよねっていうか今なんて1トラック3分とかの時代じゃん?さらっと聞くっていうテクノロジーの進歩とかそれを囲む現代のインフラが聴くという行為の変化を規定していて大体まぁお手軽な3分とか4分とかっていう感じになってるんだよね。まぁ硬派な協奏曲とかそれこそ二枚組で100分超えるやつとか昔の芸術映画を辛抱強く聴くようなものだよなとか思いつつ現代音楽っつっても音響系のコンテキストで聴いてたからノイズっぽいやつとかぶっ飛んでるクセナキスみたいなやつとかしか電子音楽じゃないやつはそういうのしか聴かなかったからペンデレツキだのなんだのっつーのをシリアスにディープにちゃんと聴くっつー行為はあんましてなかったわけでオクトパストラベラーのおかげですげー音楽体験が出来たっていうかディープリスニングというか聴き込むって大事だなって改めて思ったんでしたよね。

 

まぁ俺みたいに時間があるやつですらも音楽は色々聴いててもどれだけちゃんと聴いてるんだろう?って改めて問いただすというかさ、そこがまぁある意味フィジカルの良さっていうかまぁ音を取り込んじゃうからCDぶっこんで聴くということではないんだけどフィジカルをしまわないでその辺に並べておくとそういやこれまだ一回ぐらいしか聴いてないなってことでちゃんと聞こうと思うっつーまぁ本とかそうだよね。みんながみんなそうとは限らんけど電子で買うやつとかって埋没する可能性高いんだよね。

 

なんか習慣としてキンドルを立ち上げるってのがあんまりないからやっぱフィジカルで身の周りに未読の本がゴロゴロしてるほうがいいっていうかね、結局まぁ最終的に読むという結果になりやすいっていうかね、まぁそんなような話を昔現代音楽とか現代音楽系統の電子音楽にハマりながらディープリスニングっつー聴き方をずいぶんとデフォでしてたよなっていうまぁその後にサウンドアートとか音が小さい細かい電子音響系のやつとか聴くようになってからそれがまた加速したんだけどんでまぁそのリスニングのモードがあってんでそっからジャズにハマって昔のジャズ喫茶のおっさんみたいにBGMとして聴くんじゃなくてヴァンデルヴァイザー楽派系統の演奏を聴くかの如く聴くというね、言えてるか分からないけど試しに書くけど最近読んだ本でまぁハイデガーがさ、言葉ってのは人間が語るんじゃなくて言葉が語るんだっていうまぁその言葉における主体性だよね。

 

でもそれは詩的なただかっこつけるためにそれっぽいことを哲学的に言っているような類のやつではなくてっていうかハイデガーはそういうスタイルをとる哲学者じゃないんで当然なんだけどなるほどなっていう感じがするよねっていうのはまぁそれが書いてあったのがハイデガー関係の本ではなくて現代系のキリスト教関係の本の中でのハイデガーに関するところだったんだけどまぁ言わずもがなキリスト教で言うところのロゴスだよね。神の言葉によってこの世は作られたっていうのも普通に考えるとどうやって言葉で生物やら海とか川とか大地ってのを作るわけ?ってことになるんだけどもちろん真意はそうじゃなくて言葉でしか作られないっていうことだよね。

 

ようはキリストの受肉というのが決定的なインマヌエルの契機だったっていうのも究極的な一回性ってのがまぁ攻殻機動隊における久世の能の一回性と似てるし恐らくその究極的な一回性っていうコンテキストは革命的なメシアっていう意味合いも神学的な意味で含まれてるんだろうなって勝手に今思ったんだけど、所謂一神教的な世界観だとっつっても一神教の宗教を批判するつもりもなければ否定するつもりもないんだけど俺みたいな凡夫にとって神の御心と言われてもなかなか分からないものがあるよね。

 

で、人間にとっての宗教的な救いというのがイエス受肉したことで神の御心とか行為とか思想というのを人間というスケールで表現できたということなんだよね。それが伝えられることで凡夫でも人間スケールの神の思想というのが理解可能というか理解可能というと語弊があるけどまぁ割と分かりやすくなるようになるし何より研究できるようになってるわけだよね。

 

すっげー変な例えで言うと宇宙人について全く分からないんだけどなんかの事故で宇宙人が載っているスペースシップみたいなのが墜落して宇宙人のDNAサンプルとかを手に入れることができたっていうことで宇宙人の生態系が研究可能になったみたいなことと同じなんだわ。ただ宇宙人のスペースシップの墜落とキリストの受肉と人間にとってどちらがありがたいのかは明白ですよね。だから本当にキリストがいて良かったし助かってるしまさに救いなんだよね。キリストがいない場合、一神教的な神の宗教とかはあってもそれはそれで恐らく啓示とかも体験としてあるんだろうけど俺には理解不能だと思うのよね。

 

キリスト教の三一論ってのは苦し紛れの人間が考えた教義だって言う人もいるんだけど人間に対してのアンチョコみたいなもんなんだよね。これによって神が非常に分かりやすくなる。父なる神はぶっちゃけ何考えてるかさっぱり分からないよね。この世を作ったといってもどこまで作ったのか分からないしよく言われるのが例のミッション系のお嬢様学校の女児が上級市民に轢かれて亡くなった事件とか絶望的なぐらい救いがないでしょう。

 

神なんているわけない!ってそれで思う人も多いよねっていうか世の中そんなことだらけだし今まさにジャン・アメリーっていうホロコーストのサバイバーで元は神を信じていた人だったんだけどあまりに絶望的過ぎるホロコーストの体験によって神はいない!と確信した人の本を何冊か読んでるんだけどまぁその一方でビクトール・フランクルとかレヴィナスとかっていう人もいるんだけどまぁそれはともかくホロコーストも含めて父は何を考えているのか分からないよね。

 

それは父が関与することなのか、どこまで関与しているのか?とかあとまぁヤバめっていうかトンデモとかではなくてユダヤ系の思想家とかの考えでもホロコーストは神の導きであれがあったからイスラエル建国に至ることができたとかなんか微妙に違う気がしてきたけど(笑)あとまぁもっとひどいのだとキリストを迫害したユダヤ人への罰だなんていう話もあったりなんかして、ただまぁ色んな意味でイスラエル関係のことも含めてユダヤ教がどうも好きになれないってのもまぁ確固たる選民主義ってのもあるしあとまぁキリスト教学び始めの頃って言っても今もそうだけどようはまぁキリストを迫害した民族っつー認識があったんだけど色々と読んでいくうちにユダヤ人ってのがスケープゴートとして利用されてきたっていうのが意見というより史実としてあるんだよね。

 

キリストを迫害したのはユダヤ人っつーのも今はそういう本を何冊か併読して読んでいるものとしてあるんだけど「キリスト教ホロコースト」っつー硬派で大部でなかなか読むのが大変な本があるんだけどそれとかを読んでいてもまぁようはユダヤ人がキリストを迫害したというのは事実にしても所詮はone of themだったということなんだよね。実際に迫害したのはユダヤ人だけではなくてそれこそローマ人だの人種は分からんけど当時の民衆とかってことだよね。ただそこでなんでとりわけユダヤ人がキリストを迫害したということが強調されるのか?っていうのもようはその後カトリックっつーAxisができるじゃないですか?

 

んでまぁローマ人がキリストを磔にしたなんつー事実は不都合な事実だから全部ユダヤ人に擦り付けてやろうっつってまぁようはイデオロギーだよね。カトリックを中心とするユダヤ人迫害のイデオロギーのオリジンと言っても過言ではないぐらいでユダヤ人がなぜ差別されるのか?ってまだまだ浅学な俺が色々と言えることではないんだけどやっぱりキリスト教におけるキリストの迫害者っていうレッテルが強いってのはあるよね。

 

ってことで久々に書いたのが消えたんで立ち直れなさそうだったんだけど書いたら意外と長くなったんでとりあえず切るわ。ってことでんじゃまた明日。

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