ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/修道士による日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

K_Oさんへの返信。その2。

K_O


記事ありがとうございます!

 

何というか「こういう人達をご存知ですか?」みたいな事をしかも直接関係のない記事に書いて自分でアレだなと思ったのですが、耳蝉さんが時間と労力を割いて記事にして応えて下さった事が本当に嬉しいです。

 

 

やっぱり経済面というか、金に支配されない為にはまず贅沢を経験しないとってのはその通りだと思います。私自身もそういう経験を経ての悟りは得ていないですし、単純にもっとちゃんとした食事したいとかの欲もあるので、BIも平等や足るを知る的な感じよりはまず経済への好影響的な部分を推していきたいと思っています。

 

 

そして結局、どうやって実現に持っていけば良いのか?っていうのが問題というのもその通りだと思います。人工知能とかのニュースは今後も増えていくし衝撃度も増していくし、それがテレビで流されれば高齢者も含めて広く知られていくと思うので、そういうドラえもん的な未来への希望という側面と、そういう最新技術が逆に労働者を追い詰めるみたいな事も含めた、今現在の世の中の、物質的には足りるはずなのに今日の食事のためにさえ時間を奪われて健康や尊厳まで売らなきゃいけないのは何なのか?みたいな理不尽への疑問という側面で、まずは気付く人が増えたら良いなと思います。

 

 

ただ、BI賛成を増やす難しさで言うと、例えばMMT理論、4名はその先へ行ってる気もしますが、ともかく「インフレ率だけが財政の制約だ」という事だと私は解釈しています。理論の数学的な部分も含めた妥当性とかは、私は数学は全然ダメで釈迦に説法はしたくないので耳蝉さんの記事をまた待ちたいと思いますが、とりあえずこのMMT理論を正しいとして「緊縮はやめろ」という人達は少数でも確かにいるようです。

 

 

でも絶望するのは、こういう反緊縮と自称する人達からでさえ「BIはよくない」だったり「労働がとにかく大事なんだ」という感じの意見が溢れてくるという事です。MMT理論や、よりラディカルな政府通貨の発行などが経済理論として妥当かどうかという事も勿論問題ですが、正しいと仮定してと言うか、正しいと考えている人達でさえBIに懐疑的だったり明確に反対だったりと言うのを見ると、やはり刷り込みという事なのか分かりませんが、BIの実現まではまだまだ遠いのかなと思っています。

 

 

あるいは逆にというかなんというか、イデオロギー的なものの力、熱狂みたいなものが無ければ、そういう刷り込みなどを突破して政治的な面で世の中が大きく変わると言う事は無いのかもしれません。それだと最悪、BI実現して国滅ぶ、にもなりかねないので、贅沢できるぞ!という俗な欲望とかに訴える方がむしろ健全で安全な気もしますが、そこからイデオロギーにも勝る、世の中に刷り込まれた拝金主義的な部分を突破できる程の政治力は生まれてくるのか?という事が気になっています。ある意味で拝金主義を利用するような政治のやり方になるのかな?とぼんやり考えています。

 

 

ともかく、今回の記事を読んでまた私のBIへの考えも纏まった部分もあり、うまく纏まらない部分を自覚したりというのも勿論あって、凄く刺激を受けました。MMTについての記事も楽しみにしています!

 

経済面は本当におっしゃる通りでようはベクトルの問題なんですよね。あともっと言ってしまえばマインドセットの問題という感じですよね。今後はAIが代替する仕事が増えるしそもそもの労働力を売るという前提が自明ではなくなるから単純に生きていくためにBIが必要なんだというよりかは経済への好影響と消費を促すという前提あってのBIという感じがするんですよね。今後もどの道ジリ貧だから最低限食えるだけのお金を蓄えて後はジッとしていよう・・・ということだと鉄のカーテンの奥にあった旧共産圏みたいな活気が無いどんよりとした感じになっちゃいますよね。

 

好景気というのは無理にしても、もっと若者に消費への余力を生み出すきっかけを与えるとか失敗しても這い上がりやすいセーフティーネットを用意するっていうことだと思うんですよね。そういう地盤がグラグラなので怖くて消費が出来なくて戦前の困窮を経験した戦後の日本人みたいに無駄にため込んでしまうみたいなことになってしまうとダメで、いかに市場にお金を流すか?っていう話だと思うんですよね。個人の最低限の生活を守るというのもそうなんですが当然あるべき最低限のそんぐらいはまぁお金使うよねっていうラインのお金を使えるようになるために必要というか安心して消費できるっていう基盤ですよね。

 

で、そのある程度の消費を経験したうえで消費の虚しさを感じるフェーズになるっていうそれは市場が飽和するのと消費のメンタリティが飽和するのとは別で市場の飽和は数値で分かっても消費へのメンタリティの飽和というのは計れないですからね。なんでもコスパコスパといってファッションはファストファッションで飯もコスパ重視で極力お金を使わずに貯蓄に回すのが美徳みたいな、若いころなんてお金を使ってナンボなのにそれが出来なくなっているというのは単純に世代論的にそういうメンタリティが今後も残ってしまうとなると消費の冷え込みというのは変わらなくなってしまいますよね。

 

ただまぁなんでもコスパといってもその背景には金がかかる趣味のお金を捻出するために抑えられるところはエクストリームなレベルで抑えるっていうのなら全然いいんですよね。生活レベルを落としても良いレンズが買いたい!みたいなカメラに情熱を傾けるとかそれがファッションでも何でもいいんですがそういうのありきでのコスパならオッケーなんですよね。

 

でも色んな意味で労働力を売ることに生活のほとんどがいってしまって情熱を傾ける趣味などを開拓したり見つけたり時間を使うことすら出来ないというのは最悪のスパイラルなんですよね。だからまぁBI的な発想の良さは最低限の労働への時間の浪費というのを抑えられることで精神的余裕が出来たり単純に体を休めるということが出来たり何より余力ができるということですよね。

 

余力ができると何かやりたくなるのでそれが消費なり習い事なりっていう部分に繋がればいいですよね。あと別に行動的じゃなくて家でゴロゴロしててもゲーム買うとかDVD買うとか何かしらの消費をそこそこやりながら過ごせるというのが理想的なんですよね。

 

MMT理論については今後調べるので言及しませんが、「労働が大事なんだ」という思い込みの怖さですよね。なんかまぁそれはもう直感的に道徳に反している!みたいな印象を持つ人もいるというレベルで、いかに労働が美徳かというのが刷り込まれているか?ということですよね。

 

たまに邦画とかでもあるんですが働き過ぎて体がダメになってスローライフを送るようになったみたいな内容ならいいのに働き過ぎて体がダメになってまた自分を見つめるきっかけになってより自分がやりたいと思う仕事を探して見つけて勉強してそれに就くことが出来て自己実現可能になったみたいな「もうやめましょうよそういうの・・・」って言いたくなるようないい加減自己実現みたいなものを仕事で得ようとしたり労働でしか得られないみたいな考え止めましょうよって思うんですよね。

 

あと働いた金で買った食材で作った料理は旨い!とか完全にイデオロギーですよね。完全に労働力の結晶みたいなのが神聖化されている洗脳で働いた金はともかく自炊すらも作るという労働力を経て作られたものは貴いみたいな、まぁただ僕は職人とかの世界が大好きでプロが手を込めて作ったハンドメイドとかが大好きな人間なんでギリシャ的な技巧というかテクネーというか技術としてのArtという価値は大好きなんです。ただ「頑張った」ということが結晶化したみたいな考え方が嫌いなんですよね。食材ぶっこめばAIが適当に料理を作ってくれるみたいなのでいいわけだし料理が趣味ならいいんですけどね、ただそういう割く必要が無いところにまで労働の美徳という価値観を持ってきてマウンティングしないでほしいなって思うんですよね。

 

それよりかは便利になって浮いた時間をスキルアップに使うとか根本的なマインドセットを変えるために色々と勉強するとか体力をつけるために筋トレするとかジム通いするとかそういうほうが建設的ですよね。「頑張った」が評価される時代は終わりつつあると思いますしその「頑張った」が美徳とされるが故に鬱にもなりやすいということもだいぶ明白になってきたので頑張りを押し付けるということは昔よりかはマシになったにせよ、やはりK_Oさんの話を聴いていてもそのMMT理論の話の中とかでもまだまだ労働とか頑張りそのものを美徳化するような価値観というのが根強く残っているどころかドミナントなものであり続けるんだなということですよね。

 

そういう頑張りの押し付けみたいなのにずーっと抗ってきた自分なんですがその抗いは相当まだ続きそうですね。何よりちょっと前に流行ったピケティが著書で言っているというのが象徴的だと思うんですよね。ようは労働で作られるお金より資産運用とか株とかが生み出しているお金の方が大きくてそれは確か人類史上初だったはずなんですが、だからまぁピケティが著書の中でジョーク交じりにだからベストなのは土地とか資産を持っている例えばマンションを持っているおばあちゃんなんかに金銭的に寄生して(笑)労働という人間疎外を生み出すものとは無縁な生活を送るのがベストだとかって書いてたと思うんですがガチでこれはマジなんですよね。

 

生存性を高めるために貯蓄に走るしかないような社会というのはどれだけ見栄えが豊かでも貧しいわけですよね。だからいかに「無駄」なものにお金を使えるか?というのが本当の社会の豊かさの指標な気がするんですよね。そういう意味で合理性無視で好きなものがある人というのはそれだけで幸せだと思うんですけどそこにさらに過剰な労働から来る活動力の減少や貧困の恐怖などから自由になった人間が合理性無視で好きなことだけをやっていける社会というのが理想的ですよね。まぁこれはウォール伝初期から言っている理想主義的なことなんですが理想はやっぱそれだろう!っていうのが強くありますよね。

 

だからそういう意味で活動力や精神をすり減らすような過剰な低賃金労働というのは経済もさることながら余計で一見無駄なものにお金を使うという文化を壊すということになりかねませんよね。哲学は余暇が無いとできないってルクレティウスだかが言っててそれをレオ・シュトラウスが言及してたのが自分の金科玉条だったりするんですがこれは文化全般そうなんですよね。売れる売れない関係なしにやるバンドとか音楽活動とかそういうものの最たるものですからね。動機が売れたい!みたいなことではなくてやりたいからやっているということができる世の中ですよね。

 

結局、自分にとってのBI論的なものってようはいかに個々が文化的な生活を送れるようになるのか?っていうそこに尽きるところがあるんですよね。労働に追われ続けていたら非経済的でなおかつお金がかかって労力もかかるようなことをあえてやろうとも思わないですからね。

 

あと最後に拝金主義なんですけど金稼ぐぞ!っていうのも例えば若くて頭の良い器用な人が頑張って資産形成をして早期リタイアして余生は趣味に没頭して過ごす!とかって良いですよね。先に働かなくてもいいように若いうちに頑張る!とかは全然ありなんですけどみんなそれをできるわけじゃないし、ただまぁこれが良いよなって思うのが金稼ぎの動機が拝金主義じゃないことですよね。余生を趣味に没頭するためにお金を稼ぐ!っていう発想ですからこれはなんていうかBIとかは別としてお金に対する考え方なんですよね。好きなことをやるためのお金とか好きなことをやりたい放題できるようになるツールとしてのお金なんだ!っていう「生きるために必要なもの」というところから「好きなことをやることができるようになるもの」になるといいんですよね。

 

だからまぁそれってBIの議論と凄く親和性があるんですけどこれまた労働の絶対化とは別に「好きなことばっかりやるっていっても生きるためには嫌なこともやらなければいけないこともあるでしょう」的な勢力も強いですよね。まぁ嫌なことから学べたり人格形成に結果的に役に立ったり経験値になることも多いので一概に苦労がいけないとは思わないんですがただまぁ無駄な苦労はないに越したことはないんですよね。

 

ここは本当に重要なところですよね。ようは労働の絶対化とは別にそれと付随する形で「楽なことばかりしていてはいけない」というような思い込みですよね。まぁこの辺は受験勉強とかも影響あるのかもしれませんが本来学問なんてのは楽しんでやるものだし人間を知能で振り分けるための圧力をかけるものに学問が利用されているとか最低な話なんですよね。音楽の授業でクラシックが嫌いになるのと似ていてまぁこれって数学が顕著ですよね。

 

まぁここに関しては本当に重要なのが教育ですよね。好きなことをやるために今は頑張れ!とかならいいんですけど良い大学に入るために頑張れ!とかそりゃそれを達成したらあたふたするのは目に見えているのでそういうお金と自由への感受性を高めるみたいな情操教育は凄く必要だと思うんですがやはりそこは教師が日本教の奴隷の典型みたいなのがゴロゴロしていると難しいところでただまぁ今はネットとかがあるんで学校で洗脳されるという言わば閉じた空間で洗脳され続けるという状況を打破しやすいのかな?という気はしますよね。

 

だからまぁ僕みたいなやつがいつまでもプロフェッションを決めたりせずにとにかく好きなことをやりまくるっていうそういうことをやってるやつがいるんだっていうプレゼンスをアピールするっていうかアピールまでいかなくてもこういうやつも居て幸せに生きてるんだぜっていうこういう生き方もアリなんだぜっていう価値観の多様性みたいなのが広がればいいですよね。それは広がりつつあると思いますが一方での日本教的な苦労しろ!とか労働は絶対である!みたいな勢力の反対が強かったりしてこの辺はリアルエンジョイ勢が社会性などを保ったまま好きなことをやっているっていうのをやり続けて示し続けるしかないのかな?っていう気がしてますよね。

 

ただやはりそこでネックなのがお金なんでだったら最低限の生活は保障しようじゃないか!っていう話は僕の理想と凄く親和性があってそういうこともあって昔からのBI支持なんですけどね。保田与重郎に影響を受けてさらに文化的に生きるということの重要性を学んだ感じなんですけど結局その「良いテイスト」みたいな「分かってるねー」みたいなセンスとか感覚の部分も経済の差によってそれが出来てしまうと相当悲しいわけですよね。そうなると金持ちの道楽でしかないですからね。良いテイストを持ってるやつは金がどうのとかは別としてそのテイストを持ち続けて維持する権利があるわけだしそれを武器にしてもいいわけで何かと言うとやはり日銭を稼ぐための労働力を売るという人間疎外を生み出す行為が何かとネックなんですよね。だからこの辺の足枷はなんとかならんのか?っていつも思うんですよね。

 

先の不安ばかりせずにもっと今を楽しむとか今後もっと楽しむための種を撒いておくとか生きる基本の在り方というのがスピノザが言っているような「快」がベースになるといいんですよね。今は不安や恐怖がベースになっていますからそのベースをいかにスピノザ的な「快」にシフトさせていくか?っていうところだと思うんですよね。あとどの道これが無いとBIだけ導入してもダメになるんでBI云々は別としてこの「快」を生きるベースにするっていうメンタリティというのをいかに導入していくか?っていうことだと思うんですよね。

 

ただまぁ一時より本当に良くなったと思うんですよね。開き直って快ばかり追求してるような人間が出てきたりもしていてんでまぁそれが出来ている人って職業がどうであれニートであれ基本的にそれは正義なんですよね。自分のスピノザの理解だとそれが倫理ということでキリスト教的にも原理である「愛」を「快」に変えればそのままスピノザ的になるしそれは自ずとニーチェ的なニヒリズムの克服やドゥルーズ的なマルチに根を張る運動体みたいなベクトルや「快」という力を中心とした政治的主体みたいなネグリみたいな話にも繋がってくるのであとは本当に導入だけっていう感じですよね。だからBIの議論も必要なんだけどどう生きるか?という主体の問題もまた性急に議論が必要なトピックだと思うんですよね。

 

ぶっちゃけ前の返信より長くなったかもしれませんが(笑)まぁそれだけ自分にとって凄くアクチュアルな問題なんですよね。そういうものをまた再考するきっかけをくださったことに本当に感謝しています!あとMMT理論は早速やらねば!と思っていてやることが増えて逆に増えすぎてどれも手付かずな感じで凄く楽しいです。

 

というわけで今日はこの辺で失礼します。

 

PS

 

早速、「Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems」のKindle版を買ったのですが、近々「MMT現代貨幣理論入門」というタイトルで邦訳が出るそうです。

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