ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/修道士による日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

ジーザスに倣いて。

サルベージで出てきた昔のCDRのやつと新作を最近大量にアップしてるんだけどまぁそれを貼るわ。

 

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やっぱ頭って疲れんのな。最近はフィジカルな疲れを珍しく経験してるんだけどフィジカル疲れ切ると本読むパワーとか無いから読まないんだけどここ数日またいつもの本ばっかの生活に戻ったんだけどデヴィッド・クレーバーの負債論をドラクエヒーローズ2やりながら聴いてるって書いたけど17時間はなげーよ(笑)ストーリーとかもほぼ無音声でオーディオブック流しっぱなしなんだけどさすがに6時間とか経つと疲れるしゲームにも飽きてくるよね。

 

んでまぁその時は6時間って気がついてないんだけどだいぶ読み終わったっつーか聴いただろって思ったらまだ三分の一だったりね(笑)ただまぁこの人の話は前提が左翼っつーかアナーキズム的だから入ってきやすいよね。まぁようはこういうこと言いたいんでしょ?っていうのが大体分かるから全く知らないトピックについて読むっつーか聴いてるっていう感じではないんだよね。

 

あとまぁコミュニズムのくだりとかが良かったね。ここでも書いてるけど歴史上存在したのは独裁的な社会主義で理想主義的な共産主義があった試しがないわけでまぁそれは国家としてやるっつーのはともかく個人間ではコミュニズムのほうが何かと便利であったり人との関係性という意味でも言わば乱暴に言えば資本主義的というか功利的だとつまりは打算的じゃん?付き合いも損得という打算になると打算だけに悲惨になるよね。まぁこういうモチーフ多いよね。結局まぁ繋がってる理由っつったらビジネスか金だよなっていうんでまぁコミュニズムというかコミューン的なのってまぁ同胞同士が助け合うっていうMutual Aidだよね。クロポトキン的な?

 

まぁたまたまのシンクロニシティだけど実家の部屋を倉庫から部屋に戻すために整理してるって書いたけどアナーキズムのアンソロジーが出てきてさ、No Gods No Masters: An Anthology of Anarchismってやつですね。今アメリカのアマゾン見たら2008年に買ってるってもう11年経ってんのか!ってそりゃエクササイズしないと太る歳にもなるよなとか思ったり(笑)

 

まぁそれ国家でやるのは無理だよねっていう前提で読めばアナーキズム系の思想って極端に言うと人間論として役に立つっていうかワークするっつーかね、まぁただ個人間でも助け合いだよね!って言ってもコミュニティクラッシャーみたいなやつが一人介入するだけで関係がぶっ壊れるとかあからさまに個人的なルサンチマンなのか破壊しようとする輩がいるからアナーキズム系の前提の弱さってやっぱりこれに尽きるよね。ようは人間論的に役に立つところもあるんだけどその肝心の人間論がナイーヴ過ぎるっていう性善説に立っているっつーところだよね。

 

英語で言うところのBack Stabberってのが世の中どんだけ多いのか!っていうあとまぁ初期アナーキズムとかだとサイコパスの研究とかも進んでないからっつってもまぁ悪いやつは相当いたはずなんだけど逆に今の場合、可視化されてるから人間怖いよねーっていう社会恐怖がヴァーチャルに体験できちゃうっていうかSNSにせよソーシャルメディア全般にせよ「人間って怖いね」っていうのが明らかになり過ぎて希望すらも持てないっていうかまぁ自己顕示欲とかさ、自分さえ良ければいいのか的なね、あとまぁSNS映えのためだけに飯大量に注文して写真撮ったらほとんど残すとかさ、そんなやついるのか!って信じられないやつがいるってのが当たり前に分かるからアナーキズム系の理念的な話も理屈は分かるけど無理だよねって簡単に論破されちゃうっていうね。

 

ここがまぁ難しいよね。昔の俺みたいにそれ前提でやると騙されたりカモられたり嘘だと見抜けないとか再起不能なレベルのダメージを食らったりするからリスクがとんでもないからだったら最初から武装するとか深く関わらないとか浅く付き合うっていう言わば人間関係に防衛線を張るというのが合理的な選択として当然になるよね。結果的に打算的な人間が増えるといってもそれは人間性みたいなのが低くなり過ぎて浅ましい人間が増えたとも言い切れない部分はあるよね。

 

表層的にそう見えても実は凄まじい体験をしてから防衛線を張るようになったとか経験してないけど色んなケースがゴロゴロしてるからそういうところから学んで防衛線を張るのがデフォになったとかまぁそれ言い出すとキリスト教もそうなんだけどねっていうかようは人間的に善くあるということがノーガードで生きるってことになるとリスキーで誰もやらないか相当余裕があるやつしかできないとかっていうただのブルジョワ的な理想っていうことになっちゃうんだよね。

 

でもまぁジーザスを言うまでもなくあくまでその辺の人なんだよね。その辺の人がジーザスクルーみたいになってコミューンみたいになるっていうのがジーザスと愉快な12使徒ってことなんだけどまぁでも話飛ぶけど前に書いたと思うけどパウロのめっちゃ超大作みたいな洋書で750ページぐらいあるやつがあるんだけどThe Theology of Paulっつー本なんだけどやっぱりまぁパウロ無くしてキリスト教無しだよね。仏教にしても体現するブッダってのがいたんだけど書き留めておいた弟子たちの優秀さってのがやっぱりそれを「教」足らしめるものにしたわけでキリスト教にしてもパウロに尽きるよね。

 

まぁんで話を戻すとやっぱりまぁ神秘主義的というとアレだけど社会で実践するというより修道院的だったり隠者的な内省の世界にどっぷりになりがちなんだよね。あ、俺がね。それはもう気質としか言いようがない。で、そういうのを進めていくと今でも十分そうなのかもしれないけどどんどん高踏的になっていって世の中と離れていくっていうね、まぁ色々と高めていった結果、孤高にならざるを得なかったっていう結果論ならいいんだけどシニックな感じで現実とか社会とか政治とか人々に見切りをつけて内面世界に突入すると結局、根底はシニックなままのニヒリスティックなアイロニストが宗教やってるだけみたいな感じになっちゃうんだよね。そういうところではない逆に使命感とかに燃えなくても勝手に社会活動みたいに駆り立てられていくみたいな霊性の涵養をしたいよね。

 

何しろシニシズムとかアイロニズムは楽だからね。もうダメだって諦めてでも自分は他とは違うんだぜ!的な己惚れで斜に構えるってのは最高にかっこ悪い生き方なわけで様相がどんだけかっこ悪くてもっていうかそれはAttitude的な意味ではなくて必死に足掻いている感じがクールではないっていう意味での足掻きをしながら生きていくというStruggleだよね。

 

階級闘争ならぬ人間闘争というかそれは常に実存的な闘いでもあるしFuckな世の中との闘いでもあるわけでそういう意味で宗教的といってもあくまで闘争的でありたいなとは改めてアナーキズムのアンソロジーとかを読んでて思ったよね。基本まぁああいう下手すると荒くれ者的なバクーニンみたいな生き方よね。まぁあんなのただアジテーターでテロリストだって言われればそれまでだけど(笑)いろんな場所を流れてはオルグして地下活動を続けるあのヴァイタリティっつったら無いよね。本当に。

 

活動っつーと左翼活動か右翼活動みたいなイメージしかないけどそれを動的とするなら静的な宗教的活動ってあると思うんだよねっつってもそれは教団を開いて修行をするとかってことじゃなくて(笑)スピリチュアルとかではないちゃんとした学問としての神学なり宗教ってのをやりながらそこに学びながら肉体をロゴスとしてそれを実践していくっていう右翼で言うところのテロは肉体言語って言うんだけどまぁそれと基本同じよね。まぁもちろんベクトルがめちゃめちゃだったらオウムみたいになるんだけど俺が言ってるのはそうではないってのは分かるでしょ。まぁその手本がジーザスなわけでね。

 

ジーザスはアクティビストでしょう。明らかにね。でもイデオローグではなかった。で、じゃあイデオローグは誰なのか?ってのが俺が心酔するパウロなわけよね。ジーザス無くしてキリスト教は無いんだけどでもパウロ無くしてもキリスト教は無かったわけで神のロゴスが肉体化したのがジーザスだったといってもそれを取りまとめる優秀なブレーンってのは必須なわけでそこでのパウロが果たした役割の凄まじさといったら無いですよね。

 

まぁんでようはキリストに倣いてっていうことなんだよね。ジーザスというロゴスを血肉化して生きるということがつまりはジーザスのミメーシスっていうかね、恐らくだけどバルトなんかが自然神学にナイン!と言ったのも自然を見て啓示が下るような宗教は違うわけであくまでジーザスというロゴスを通してのみ啓示はありえるしそもそもの宗教の枠組みというのがそのジーザスの言葉や記録が書かれた聖書からでしかありえないということだよね。

 

まぁそれは聖書の絶対化というよりかはジーザスというロゴスの絶対化なわけで権威とは関係ないんだよね。そこを神の代理人とか言い出すとカトリックみたいにめちゃめちゃになるんだけど(笑)キリストに倣うっていうのはまぁロックスターに憧れる兄ちゃんがロックスターをロールモデルとして模倣して生きるみたいなことと同じだよね。

 

ただそれがなぜそんなにキリストが素晴らしいのか?っていうのが言葉では伝わらないから伝道なんつっても限界があるっていうかそもそもの啓蒙の限界というかね、元々のところが言語外のところを言語で語るしかないから自ずと言語の限定性を受けるしましてや伝達っていうまた厄介なダビングの劣化みたいなのも起こるわけで宗教的な啓示ってのはやっぱり体験でしかないんだと思うんだよね。ただそれがなぜ起こるのか?ってのは全く分からないんだよね。

 

まぁ俺が起こって本当に良かったし今後もそのおかげで生きられる気がしてるからまさにそれ自体が救いみたいなもんなんだけどね。そもそものウォール伝自体のバイタリティが戻りつつあるってのもまさにそれだしあとまぁ音楽的なアウトプット然りだけど日々の生活と命と凄く近いところでそれがあるよね。かといっても自分はラッキーだったっつーので終わらせるんじゃなくてアクティビストとしてのジーザスというのに倣わないといけないんだよね。

 

まぁただこれは相当可能性はあると思うけどね。っつーのもキリスト教ドミナントな国とかだと逆に難しいんだけど日本みたいにほぼ関係ないぐらいのレベルの国のほうが既存の教会に行かなきゃいけないとか変なルールに縛られてて門外漢が見るとその規定が異様なものに映るようなものではなくてロックスターだのカリスマだのに感化されるっていう極めて卑近な感覚から来る実践っていう意味でのキリスト教だよね。

 

かといっても別に教会とかに行きたかったら行けばいいし既存のものを否定する必要はないんだけどまぁでもハードコアクリスチャンって多分俺みたいな実践の仕方を言うと思うんだよね。神との関係性が個と神というその縦軸しかないっていうところだよね。教会とか神父だとか制度とかルールみたいな人為的なものに縛られたり影響されたりしないっつーところだよね。その絶対的な縦軸の関係性が強いからある意味での究極的なアンチオカルトだったりアンチカルトだったりするわけなんだよね。信仰がはっきりしているから変なものに傾くということがまずないっていうね、救い主が明確だし意味不明な団体とかに流されるってことが無いんだよね。

 

もしくは見た目は良さそうに装ってて良さそうな団体だなって思っても内情みたら人間の煩悩とか汚い政治だらけだなとかってすぐ見抜けるわけだよね。全てが神に帰するという感覚とはかけ離れているなっていうのが信仰によってすぐ分かるわけだよね。逆に倣うべきはキリストのみで他に何がいるの?って話だよね。まぁ学問的に例えば今勉強しているMMTとか経済学とか政治学とか神学とは違う社会学の分野での宗教学とか学ぶものはいっぱいあるけど倣うものってのは明確だよね。まぁキリスト以外にもロールモデルってのはいてもいいんだけどただまぁその中でもキリストは突出してるでしょっていうか次元が違うよね。やっぱり。そこがやっぱり人なんだけど人ではない神なんだろうなっていう漠然とした感じだけどなんとなく腑に落ちるところになるんだよね。

 

制度的なものとかルールとかが大嫌いな俺がキリスト教に目覚めるとか今でもあり得ないと思うけどでもなぜ?っていう理由を書くとなるほど!ってなるでしょ?まぁようはその一般的に連想される意味不明な制度的なルールとかとは全く関係ないところで信仰しているっていう、例えば保田与重郎を信奉しているからといって保田与重郎学会ってのがあったとしてそこに属しているのか?とかってのは全然関係ないしそういう団体の見解とかとも全く関係ないところで個人的に信奉しているっつーところだよね。逆に俺みたいな人間だったらそれ以外ありえないよね(笑)逆にルールだらけのものにいきなり目覚めたらそれはもうイッちゃったのかな?っていう別の方向に行っちゃったんだなっていう感じしかないよね(笑)

 

まぁそんな感じなんだけど教会とか関係ないとか言いつつまぁそれとは別に宗教画とか歴史的な教会っつー建築の美だとかね、西洋のも大好きになったし東洋系のイコンも好きだしまぁなんかその宗教系の美術とかは大好きっていうかそれは別にキリスト教に目覚めたからよりそれがエンハンスされたってのはあるけど元々好きだよね。あとまぁダークソウル的なゴシックっぽい廃教会みたいなダークな感じとかさ、まぁそれは美的感覚っつーところなんだけど逆に元々好きだったからまぁ予兆が無くもないなっていうのはまぁあるよね。

 

カトリックのことを批判しまくってるけどカトリックカルチャーの良い部分とか面白い部分ってのはいっぱいあるからね。逆にそこは例えばキリスト教版の即身仏的な聖者のミイラを残しておくみたいなのを唯物論的なっていうとアレだけどプロテスタント的な感覚で「そんなもの偶像崇拝だ!」なんつって破壊する必要は無いだろうって思うんだよね。信仰の内容とかに微妙な違いがあるのはそりゃ個人だから当たり前なわけで、ただまぁ最近「死の帝国」っつー写真集買ったんだけどああいうのたまらんよね。カタコンベとか元々大好きだからね。フロム世代というのも影響しているのかな(笑)ああいうものとの接点って何気にキングスフィールドの影響が大きい気がする(笑)神話とか天使とかに関してがメガテンなのは言うまでもないわな。

 

オカルトじみた金が絡んだようなものは大嫌いだけど超自然的なものがあるっつーのは昔から変わらないよね。まぁそれは経験があるってのと嘘ついてもしょうがない人から聞いた話とか又聞きとかも含めてあるからそりゃまぁあるんだろうなっていう、ただまぁそこで日々の生活でその宗教的ベクトルをそういう超自然的なものにばかり向けるんじゃなくてあくまでそこはベクトルは知と実践なんだよね。そこはまぁ仏教で言えば仏教者が念仏とかで悪霊払いしたり神通力を得たりするとかっていうことではなくて(笑)仏教という思想を実践するものとして生きるっていうことじゃないですか?それはキリスト教然りっつーところなんだよね。

 

まぁそんな感じで今日はこの辺で。

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