ウォール伝、はてなバージョン。

革命家/修道士による日々の思索を頭をクリーニングするかの如く書き連ねるブログ。

La Tentation de Saint-Antoine雑談。

新作アップしたので。

 

soundcloud.com

 

なんつーかいつもサステイナビリティだということを言っているけどやはり原点に返って芸術かぶれだった頃の自分というか青臭いありのままの自分を直視して飾らないというかね、作らないことで素でいるということが一番楽なわけで、まぁそんな中でそういう時期に見てたタルコフスキーだのゴダールだのっつー所謂アート映画みたいなのを見てて思うのはまぁやはりこういうのを見ているのが自分なんだなっていう自然な感じがあるんだよね。

 

あとまぁどの道生きて行かなきゃいけないから一時期好きだったものとかに立ち返って見てまた見て見るとか聴いてみるってことをしたりしてんでまぁもっと好きになるっていうかまぁボダラン3やってても終わらせたくないからゆっくりやるみたいな味わい方っていうかそんぐらい好きなものって限られてるから大事にせなあかんよね。色々と手を出して拡張するのもいいんだけど自分を形作っているような根源的なものに立ち返ってそれをさらに好きになってみるとかね、そういうのは必要かなって思うんだよね。

 

んでまぁ映画なんだけどヒッチコックの14枚組が5000円とかで売られててまぁ日本のってめっちゃ高いじゃん?ヒッチコックとかは版権が切れてるのか分からんけどまぁとにかく14枚組で5000円は安いなってことでまぁ代表作は例のあれですよね、映画を浴びるように見てた時期にレンタルビデオで見てそっからまぁダビングして何回か見たって感じでまぁ今の俺ってまだブルーレイブームが続いてるから買ったんですよね。んで早速サイコ見たらとにかく映像とバーナード・ハーマンのスコアのクリアな感じがもう異次元で良かったですね。昔の映画でスローな展開でなおかつ英語だから3倍速ぐらいで見るとちょうどいいかな。

 

あとまぁブニュエルボックスみたいなのも例のBFIで買ったんだけど皆殺しの天使ってのを昔に妹と大昔に知人に絶対気に入るから見たほうがいいよとか言われててずーっと見てなかったんだけど見たら最高でしたよね。ブニュエルの不条理さって松っちゃんの笑いに通じるものがあるって前にも書いたけど論理に支配されてない世界って自由でいいよね。なぜ出られないのか?なんてことを問うのが愚問というか映画批評とかでインテリが現代思想とか時代遅れな精神分析とかを出してきて色々書けるんだろうけどまぁ見たままの映画なんですよね。分かる分からないの世界じゃないっていう。

 

なんかまぁあるあるだよね。その人の生活とか精神状況によっても類似って意味で変な共感を得られるっていうか例えば今の俺が長らく前みたいに思い立って行きたくなったからって理由で外出したりどっか遠出するみたいなことが出来なくなってるっていうロックアップされてる感じとかただ別にそれが不満ではないんだけどただまぁ生活ってそういうもんだからね。大半の人が移動はあっても毎日同じだからロックアップされてるのと同じっていうね。んでまぁ外出ても別に外に出たなぁーという感じもしなくなっているというのもまぁ年輪を重ねるとしょうがないですよね。

 

だからまぁそうなってくると精神的な刺激しかないよね。あ、んでまぁあれなんだよね、Michel Chionのっていきなり話が飛ぶけど実験音楽とかのCDとか大昔にほとんど売っちゃったけど「これは!」ってのは残しておいてキリスト教に目覚めたじゃないですか?んで異様に聴きたくなってて売ったっけなぁー?とか思って家を掃除しつつディグってたら出てきてまぁ聴き直してるんだけど今って英語読めるからライナーとか読むとある程度分かるのよね。んでそれがフローベールの聖アントワヌの誘惑ってのをラジオドラマ風にしたというかそれをナレーションとかあとアントワヌ役がシェフェールなんだよね。

 

買ったのが18ぐらいの時で当時はさっぱり分からなかったんだけど売らなくて良かったなと。んでまぁSound Study系の本を結構買ったんだけどって数か月前だけどChionのずばり「Sound」っていうのの英訳があって読んでるんだけどミュージックコンクレートの理論とシェフェールの原理を踏襲しつつ拡大していくというような方向とかね、まぁ音そのものの考え方とかってのを改めて考えると面白いんだよね。

 

んでまぁそのChionの「La Tentation de Saint-Antoine」はChion自身が何回か読んでいて親しみがあったフローベールの小説をミュージックコンクレートで表現したっていうことなんだけどアランロブグリエとかってサントラがミュージックコンクレートでミュージックコンクレートと映像って感じなんだけどChionのはナレーションとかも含めてラジオドラマ風なんだけど別にフローベールの作品を丸ごとRealizeしたんじゃなくてモチーフに本当に限定的に場面とかを選んでるんだけど何気にすげーよなって思っちゃってね。

 

よくこんなのやろうと思ったなっていうね、西洋音楽だとストーリーを音楽でやるってオペラになるんだろうけどミュージックコンクレートってのもあるんだなっつってもまぁオペラに比べて全然ないけどね。フランス語分からんけどアントワヌが山奥の庵で薪を前に「孤独だ・・・・孤独・・・」とかって言ってるんだろうなってのはまぁフランス語と英語って似てるところもあるからなんとなく分かるんだけどそれ分かると途端に面白くなるんだよね。そういう場面の表現だったりするのか!ってのが分かると作品自体は長いんだけど全然長く感じないのね。

 

んでまぁディスクで言うと収まりきらないから二枚組になってるんだけど取り込んでくっ付けて1つのトラックにしてあと昔のコンクレート作品って音小さかったりするから色々とダイナミクスとかいじって音量もマックスか音がデカいところだと割れるぐらいのノイジーな感じにようは自分エディションみたいなのを作って聴いてるんだけどまぁ楽しいんですよね。

 

んでまぁフローベールの聖アントワヌの誘惑も岩波赤で出てるんで早速買って読んでるんだけどミュージックコンクレートってシェフェール以降のシェフェール門下だったような人たちが継承してやってる感じだけどまぁ今はもうほとんどないよね。ただやっぱり改めてそのコンセプトと方法論に凄く惹かれるものがあるなっていうかね、んでChionのやつは状況を表すためにコンクレートを使うんだけどそれは当然現代の音なんだよね。

 

でもそれで表現されているっていうね、まぁ昔のクラシックとかだと川の流れを表してる旋律とか色々あると思うけどミュージックコンクレートでフローベールのをやるってのはすげーアイデアだなと思ってさ、ただまぁ具体的にナレーションがあって誰々がやってきましたっつーんで歩いている音がするとかそういう具体的なもんじゃなくてすんげー抽象的なんだよね。その抽象性にこそミュージックコンクレートの神髄があるなと思っててアントワヌが幻影に誘惑されたり錯乱される様子とかもコンクレートとして表現されてるってのがまぁ買って何十年越しにようやく理解した!って感じだけど分かりづらい音楽ではあるけど抽象的だからこそ面白いよね。

 

って感じで長くなったんで分けるわ。まだ書き終えてないんで。んじゃまた続きは今度ね。あ、んで例のChionのやつのDiscog貼っておくわ。

 

www.discogs.com

 

オリジナルは絶望的に手に入りづらいけど再発もあるみたいなんだけどそっちもマイナーなレーベルなんで手に入りづらいかも。

 

www.discogs.com

 

あと例のChionの本ね。

 

www.amazon.co.jp

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